寿さんの過去のタイムライン
2026年06月
| 寿⇒お賽銭入れ | |
| 2026/06/20 11:27[web全体で公開] |
| お賽銭入れ⇒寿 | |
| 2026/06/20 09:37[web全体で公開] |
> 日記:TRPGとは何か?その5「本来のセッションとは何だったのか?」 興味深い話だと思って見させていただいています。 概ね理解できますし、数少ないTRPGを扱った昔の作品などを見ても、だいたいおっしゃられている通りの様子がうかがえますね。 ただ、 ・初心者はルルブ単体で理解を求められる これだけは間違いですね。クソコミュニティやクソGMにはそういった考えの者もいるようですが、多くの卓では「初心者はセッションしながら理解をしていく」という認識のはずです。 ルルブ単体での理解を求めることはまあないですね・・・。
| 寿 | |
| 2026/06/19 23:23[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その5「本来のセッションとは何だったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)※最初にお断り。 何度かお断りしているが改めて。私は何が正しいかを論じるつもりはない。 「本来」という言葉は「もともとはこうだった」という初期段階の意味で使っている。 本来の自動車、本来のカメラ、本来の携帯電話と同じく、全ての物に普通に存在する意味だ。 唯一正しい形や、あるべき姿を主張する意図はない。 日記の目的は、対立のためではなく理解のためだ。 100人いれば100通りの遊び方があるのは論じるまでもない当たり前の事だ。 結局のところ、今まで私が見聞してきた範囲で、遊び方の変遷を語っているに過ぎない。 100通りのうちの一つの考えだと受け止めて頂ければ幸いだ。 なお、分かりやすさを優先して極端な例を出す事があるが、あくまでも説明のための強調表現だ。 ■ 本来のセッションとは? 以前の日記で、TRPGのGMは物語の演出家というより裁定者に近く、 世界を進行させる存在であり、ストーリーを構築する責任者ではないと書いた。 また、TRPGのゲーム性は、戦闘・探索・資源管理・危険回避といった攻略要素が中心と書いた。 今回は、もう少し広い範囲で本来のセッションとは何だったのかを深堀りしてみようと思う。 ■ 本来のTRPGは「世界観から始まるゲーム」ではなかった 現代TRPGの多くは、ルールも整備され設定もきちんとしている。 全てにおいて製品としての完成度が高い。 当然、どんな世界なのかという世界観も最初に提示される事が多い。 国家があり、組織があり、設定があり、その中にPCが入る。 しかしクラシックと呼ばれる本来のTRPGは必ずしもそうではないものがあった。 D&DやT&Tのタイトルを見ても一目瞭然。 最初にあるのは「冒険」だ。もっと言うと「ダンジョン探索」である。 ダンジョンに入る→敵を倒す→宝を得る→生きて帰る 当然ながら、ダンジョン探索に国家の勢力図なんて必要ないので、 世界観は、その後ろにある補助的な説明であり、中心ではない。 世界観の比重がかなり低かったと思う。 これは日本のソードワールド無印なども同じだ。 むしろプレイの積み重ねによって、世界観が充実していったと言えると思う。 どこかの王国も、伝説も、魔法体系も、最初から整備されているものではなく、 プレイヤーの冒険の積み重ねで後付けされていく側面が強いようだ。 つまり本来のTRPGは、「世界を体験するゲーム」というより 「遊んだ結果として自分たちなりの世界が出来上がってくるゲーム」 という側面があったように思う。 初めから完成度が高いのもいいけれど、 自分が作品世界に介入できる余地があるというのは、大きな醍醐味だと思う。 ■ 本来のPCは「物語の主人公」ではない!? 現代ではPCは物語の中心に置かれることが多い。 背景があり、動機があり、ドラマがあり、成長曲線がある。 PCは「物語のために守られる主人公」の立場であることが多くなっている。 しかし本来はちょっと違ったと思う。 あまり上手い表現が見つからないが、PCは物語の主役ではなく、 冒険の単位というようなものだった。 重要なのはPCの物語ではなく、ゲーム性の方だった。 生き残れるか?探索できるか?何を持ち帰るか?である。 そのため死亡や作り直しもシステム上は自然に発生する。 PCの連続性よりも、冒険の連続性の方が優先されていた様に思える。 とはいえ、まったくPCが立ってなかったわけではない。 継続すればキャラに愛着が出るのは当然の事だ。 そのプレイの積み重ねがあって、だんだんキャラが重視されるようになってきたのだろう。 近年は、~ドリブンという説明をされる。何を主軸にしているかという意味だ。 ストーリードリブンなら、ストーリー主軸。 シミュレーションドリブンならシミュレーション主軸だ。 この分類でいうと、 古典型の多くは、シミュレーションドリブンとゲームドリブンがメインが多かった。 そこから積み重ねがあって、徐々にキャラクタードリブン要素も強くなった。 現代型は、ストーリードリブン&キャラクタードリブンがメインとなっているものが多いようだ。 ■ 本来のTRPGは「未完成性」を内包していた さきほど現代のシステムは完成度が高いと記述した。 それに対して、古典型クラシックと呼ばれるものは、 完全な製品として設計されていない部分があった。 もちろん初期のものだから未成熟だったという点もあるだろう。 しかしそれが大きな魅力の一つでもあった。 ルールの隙間や曖昧さは欠陥というより、自由に運用できる遊びの余地だった。 曖昧な部分はGM裁定で、不足はハウスルールで、不明点は経験で補う。 つまりルールブックだけで完結している遊びではなかった。 完結していないという枠組みも含めて、楽しんでいた。 足りない部分は、話し合いと想像力で補っていた。 逆に現代型は、世界観からルールから非常に完成度が高い。 あまりに、かゆい所まで手が届きすぎて、議論の余地もなかったりする。 ひょっとすると、完成度と想像力は、ある種トレードオフなのかもしれない。 ■ セッションは本来「仲間内文化」で成立していた TRPGは元々、同じサークル、同じ友人関係、同じ卓経験者の中で遊ばれていた。 重要なのはルールブックではなく、コミュニティである。 つまり、ルルブやサプリよりも、仲間内でのコミュニケーションこそが重要だった。 ルールブックだけで初心者が独学することをあまり想定していなかったように思う。 昔のルールブックは資料であり、完全な説明書ではない。 先輩が後輩に教える、経験者が初心者を補う。そういう構造で成立していた。 昭和の子供のコミュニティに似ている。 ドラえもんの空き地を想像すれば分かり易いだろう。 小学生になって、地域のコミュニティに入る。空き地で一緒に遊ぶ新入りの仲間だ。 そこにはガキ大将のジャイアンがいて、面倒を見たりルールを教えたりする。 残念ながら現代ではその前提となるコミュニティがかなり少なくなってしまった。 そして現在はネット上の、オンライン環境のコミュニティが主流になった。 その結果として、 ・初心者はルルブ単体で理解を求められる ・経験者が隣にいる前提がない ・用語や文化の共有が前提化されていない という状況が生まれている。 現代では、その前提となる環境そのものが大きく変化した。 もし古典型システムが分かりにくく感じられるとしたら、それはルールが古いからではなく、 本来それを支えていた文化やコミュニティが失われたからなのかもしれない。 ルールそのものは単純だが、ルルブを読もうとすると、 ・用語の位置が散らばっている ・重要情報が文中に埋まっている ・手順化されていない 正直、独学だと非常に読みづらく、全体像が見えにくい。 ルールは簡単なのにルルブは複雑怪奇というシステムも多かったようだ。 これは多分、遊び方が根本的に違うからだと思う。 本来のセッションは・・・ 攻略型の遊び、未完成性を含む枠組み、仲間内で補完される文化、 プレイの積み重ねで成立する世界・・・として存在していた。 そして重要なのは、 それはルールブック単体では成立していなかったという点だ。 ■ TRPGとは、本来コミュニケーションをするゲームである これは今も普通に言われている事だ。多くのプレイヤーにとっては常識だと思う。 しかしこれも、実は、昔と現代では意味が変わっている気がする。 現代は、キャラになりきってやり取りする事を、 コミュニケーションの中心に据えている人が多いように思う。 だが本来は、セッションの中だけではなく、外のやり取りも含めた コミュニケーション全てが中心だった。 「ルールのゲーム」ではなく「人間関係込みで成立する遊び」だったのかもしれない。 極論すると本来のセッションとは・・・ ゲームを楽しみながらも、気の合った仲間が集まってワイワイガヤガヤ交流を楽しむ事で、 ルールとかシステムとかは、その交流を彩るための道具・・・だったのかもしれない。 まるで料理を楽しむというのは建前で、 実は酒を飲むのが目的で、料理は酒の肴だ、みたいな感じだろうか?知らんけど。 書いていて思い出したが、ゴルゴ13の中にセッションの場面があった。 欧米の上流階級らしき人々がテーブルを囲み、 それぞれがEU各国の首脳役となって外交交渉を行うRPGセッションを遊んでいた。 現実にそういう遊びがどの程度あるのかは知らないが、印象に残っている。 なぜなら、そこで楽しまれていたのは、ルールやゲームそのものというより、 人と人とのやり取りだったからだ。 議論する。交渉する。駆け引きをする。相手の考えを読み、自分の考えを伝える。 そういうコミュニケーションそのものが、そっくりそのまま遊びになっている。 本来のセッションとは、そういう側面が強かったのではないだろうか。 ゲームを遊ぶために人が集まるのではなく、人と集まるためにゲームを遊ぶ。 少なくとも私が知る昔ながらのセッションには、そういう側面が強くあったように思う。
| 寿⇒COBRA | |
| 2026/06/13 22:08[web全体で公開] |
確かにクラス制だと役割が見えやすいですよね。 皆で遊ぶ以上、自然と「自分は何をすればいいか」を考える事になると思うのですが、 まあ昔から色々な人はいましたよねw 今は本当に多様化していますし、色々な価値観の人と交流してみたいと思っています。
| 寿⇒COBRA | |
| 2026/06/13 21:58[web全体で公開] |
「Be Fair」という言葉は良い言葉ですね。調べましたw GMだけでなくPLにも向けられているのが印象的です。 世界の状況や論理に従って行動し、その結果を受け入れるという考え方は、 まさに今回書いたGMの裁定とも通じる様に思います。 まあ偉そうな事を言っておいて私もうっかりミスはしますけどね。 暗闇なのに明りつけてなかったとかw
| COBRA⇒寿 | |
| 2026/06/13 01:54[web全体で公開] |
> 日記:TRPGとは何か?その3「本来のGMの役割は何だったのか?」 現在、CD&D6版入門セットに付属しているソロアドを翻訳してみてるのですが https://www.drivethrurpg.com/en/product/17157/the-classic-dungeons-and-dragons-game 「Be Fair」という言葉がシンプルながら重みがあると思いました。 そのゲームブック風シナリオでは行動宣言になれていないPLとDMの為に最初は選択肢を提示して、次に自由行動を許すものの、行動宣言の結果についてDMもPLもフェアであるべきで、通れない箇所を通る宣言をしたりは「アンフェア」だから「面白くない事になる」と例示していて、なかなか興味深かったです。 初心忘るべからずだなあと。
| COBRA⇒寿 | |
| 2026/06/13 01:38[web全体で公開] |
> 日記:TRPGとは何か?その4「本来のRPとは何だったのか?」 クラスが明確なシステムは役割も分担も明確なのですが、BRPスキルシステム以降は「アンタなんなの?」的な宙ぶらりんPCが仕様的に発生したともいえると思ってます。 とはいえシステム起因だけでなく「これはキャラクター個性だから」を言い訳にしたPLの問題行動も古来からあり、鍵あけを断るローグ、前衛を拒否るパラディンは版が最新になろうといますけど、そういうのとはPTで連携とってナンボの遊びで同卓することがなくなる形ですね。楽しく遊べるPLさんの方が声がかかりますし。
| 寿 | |
| 2026/06/12 09:50[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その4「本来のRPとは何だったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回は、昔ながらのTRPGにおけるGMの役割について書いた。 世界を作り、状況を提示し、プレイヤーの行動に対して裁定を返す。 その結果として物語が生まれる・・・という流れが本来のシナリオという話だ。 今回は、では「RP(ロールプレイ)とは何だったのか?」について掘り下げてみたい。 ■ 前提:当時から遊び方は、多様化していた。 最初にお断りしておきたいのだけど、一連の日記の目的は、知らない人に知って貰いたいという事。 だから一読しても意味不明な「オールドスクール」みたいな業界用語は使いたくない。 その為、説明の便宜上、昔ながらの、本来のやり方を「古典型」と呼称し、 ストーリー進行や演出の比重が高い遊び方を「現代型」と分かり易く呼称してきたが、 当然ながら両者がきっぱり二つに分かれているわけではない。 どんなセッションでも、グラデーションの様に、二つの要素が混ざり合っているのが普通だろう。 古典好きの私だって、古典型10割ではない。せいぜい6割7割くらいだと思う。 そして現代型と呼称しているが、それが生まれたのは、実は70年代だったりする。 つまり、TRPG黎明期の時点ですでに、現代型は存在していて、今は主流になったという事だ。 だから、GM経験が何百回あり、何十年も経験を積んだ古参プレイヤーでも、 実は古典型の経験も知識も無いという人は、普通にいる、というか、今はそれが多数派だったりする。 以前、マニュアル車からオートマ車という例えを出した。 車の場合は技術革新が必要なので時間がかかる。でもTRPGに技術革新は必要ない。 D&Dが商業ベースに乗った瞬間から、効率化は始まり、 より負荷の軽い一本道自動進行スタイルが、ほぼ時差なく生まれたというのは自然な流れだ。 ■ RPとは何か? 一般的にRPは「役割を演じる事」と多くのシステムでは説明される。 しかし実際のプレイの中身を見ていくと、この説明は非常に危うい。 というか、この説明が、混乱させている元凶だ。「演じる」が良くない。 だからみんな、RPとはなりきって演技する事だと勘違いする。 表意文字である漢字は、一読して意味が分かる優れた文字だけど、その為に誤解も生じる。 むしろRPの本質に近いのは「役割を果たす」という捉え方だと思っている。 ■ 実例:ダンジョン内での判断 未探索の部屋に斥候が潜入する場面を想像してほしい。この時、戦士PLが宣言する。 PL 「俺のPCは盾役(タンク)だから、斥候が危険に遭ったら庇える様に、 すぐ後ろに位置取っておきます」 これこそが、本来のRPであろうと思う。 RPとは、そのキャラとして考えて、やるべき役割を果たす行動の事だからだ。 なりきりでも何でもない普通のPL発言でも、上記の様にRPはきちんと成立するものだ。 ではRPの放棄とは何か? タンクPC「部屋の中は危険かもしれんな、俺は外で待ってるぜ!」 仲間を守るべき盾役が、役割を放棄して自己保身に走る。これがRPの放棄だ。 PC発言だからRPなのではない。PC発言でもRPの放棄は普通に起こる。 そしてPLの選択した行動の結果は、そのままPLが受け取るのが古典型。 このセッションでは、室内に潜んでいた伏兵の奇襲によって、 後衛の斥候や魔法使いが直接大打撃を受け、パーティは壊滅し、攻略失敗となった。 RPとは「喋り方」や「キャラ口調」の事だけではない。 その立場になり、役割を果たす為に、どんな行動を取るべきか考え実行する、という事だ。 ここら辺、古典型の「状況を把握して、どう動くべきかを考える」 というシミュレーション要素が非常に大きい。 ■ RPは“演技”ではなく“行動選択”だった 現在の感覚だと、RPは「なりきり」や「演技」として捉えられがちだ。 現代型の人たち自身が「おままごと」と呼称している事からもそれが伺える。 しかし本来の比重はそこではない。重要だったのは、前述したように、 そのキャラクターならどう動くか、その役割ならどう判断するか、その状況ならどう行動するか これを常に考え、合理的な選択をするという部分だった。 つまりRPとは、セリフを作ることではなく、行動を決める事に近かった。 ■ RPがストーリーを作っていく 本来のRPは、単なる雰囲気づくりではなく、それ自体がゲーム進行に直結していた。 例えば、交渉する、説得する、依頼を受ける、敵と同盟する 全てRPの結果として発生し、そのまま世界の状態を変える。 つまりRPは、世界を動かすための手段、世界への介入手段だった。 現在のTRPGでは、ストーリーが先に存在し、その流れに沿ってRPを行うのが一般的だ。 大体において、RPはフレーバー程度であり、ストーリーには影響を及ぼさない。 しかし昔はまったくの逆で、RPの積み重ねの結果として物語が生まれた。 RPが、世界を形作っていった。 決まったストーリーをなぞるのではなく、PCの判断と行動がそのまま物語になる。 だから本来は、同じシナリオでも、卓ごとに全く違う展開になるのが普通だった。 現代型を見ていて違和感を感じる一つが、 同じシナリオを遊んだというだけで、感想が一致する事だ。 別GM、別PLでプレイしたにもかかわらず、感想を共有出来るというのは、 古典型から見ると、とても不思議だ。とはいえ今はRPの話なのでこの件は次回以降に。 ■ RPの意味が変わっていく中で起きていること 現在の「RP」という言葉の意味はかなり広がっている。 例えば、キャラクター同士の雑談や、感情表現や掛け合い(いわゆるエモ) こうしたものもRPとして扱われることが多い。 茶番とも呼称される事がある。定義が色々ある広い言葉だが、 「物語と関係ないなりきりおままごとを延々と続ける事」を指す事が一般的に多い様だ。 実際「茶番RP」が好きです、とプロフで言ってるPLも見かける。 古典型にもあったが、それが一層広がったわけだ。 時代と共に多様化して生まれた楽しみ方なのだろう。それはそれで有って良いと思う。 ただしそのせいで「役割を果たすための行動」という側面は弱くなってしまった。 結果、本来の意味は知らないまま、TRPGを遊ぶ人が多くなった様に見える。 そして、同じRPという言葉でも、指している内容が人によって違う状態になっている。 ■ 「RP=なりきり・・・だけではない」という違和感 最近、オンセンだけではなく、ディスコードなど他のコミュニティにもたくさん参加し、 ネット上の色んなブログをあちこち読み漁ったりしていて、 同様の趣旨のブログを見かける事が度々あった。短く要約すると以下だ。 「RPとはキャラクターになりきって話す事だ。 他にも意味があるのかもしれないが・・・」 こういうのを読むと非常に象徴的だと感じる。 現代型のPLで、ブログでTRPGについて色々語っている人は最近多い。 そして「RPとは?」についても語っている人は多い。 基本的には、RP=なりきりおままごと、だと思っている。 しかし、一方で違和感も感じている。「それだけじゃないのでは?」と思っている。 でも、それが何かは分からない。言語化できない。というわけだ。 古典型の経験もなければ知識もない、遊び方や定義の変化も知らない。 分からなくて当然だ。だからトラブルも起こる。 でも、その一方で、セッション経験を経て、なんとなくそれだけでは無いという感覚を持つに至る。 そういう感覚を持ってくれるというのは、もしかしたら古典要素のあるセッションを 経験した結果なのかもしれない。そう思うと少し嬉しい。希望が持てる。 ただ、それ以上には、なかなか認識が進まないのは残念でもある。 彼らは理解不足なのではなく、遊び方の歴史的変化を知らないだけだ。 「間違っている」のではなく「見えている範囲が部分的である」状態だ。 こんな人にこそ、なりきりはRPの一要素ではあるがメインではない事を知って貰いたいと思う。 ■ RPという言葉が抱えているズレ 同じ「RP」という単語でも、実際には複数の意味が混在している。 役割を果たす行動、キャラクターになりきる表現、物語を演出する行為 これらが同じ言葉で呼ばれているため、認識がすれ違いやすい。 遊び方の違いが、そのまま言葉の意味の違いになっている様だ。 ■ まとめ RPとは本来、PCを演じる芝居そのものではなく、役割を果たす為の判断と行動だった。 その結果として世界が動き、物語が生まれていた。 現在は、時代の流れと共に、その比重が変化し、新たな楽しみ方が生まれ、 RPはより負荷が軽く、より演出寄りの概念として扱われる様になっている。 どちらが正しいという話ではないが、同じ言葉を使っていても、実は定義が違う。 その点だけは意識しておいた方が、余計なすれ違いは減るのではないかと思う。 つづく
![]() | システム⇒寿 |
| 2026/06/10 19:01[web全体で公開] |
システムからのお知らせ コミュニティ「テキセクトゥルフをし隊!」の参加が承認されました。
| りこ⭐⇒寿 | |
| 2026/06/07 13:39[web全体で公開] |
寿さん、はじめまして。 コメントありがとうございます。 「冒険をするために生み出した自分の分身」 という捉え方、なるほどと思いました。 たしかに、自分自身を「うちの子」とは呼ばない、 という感覚はとてもわかりやすいです。 一方で、PCを自分の創作キャラクターや作品として大切に思う方がいる、 というのも自然なことだと思いますし、どちらが正しいというより、 キャラクターとの距離感の違いなのかなと感じました。 「自分の分身として見る人と、自分の作品として見る人では、 キャラクターの危険や失敗に対する受け止め方が違う」 というところは具体的にどう違ってくるのか、 わたしの中ではうまくイメージできていないところです。 わたしの感覚としては、 PCを「自分の分身」と呼べるほど自分そのものとも思っていなくて、 でも「うちの子」と呼ぶほど守ってあげる存在とも少し違っていて、 やっぱりその物語の世界に住む「(自分とは異なる)登場人物」のひとり。 たぶん、わたしにとってのキャラクターとの距離感は、 今のところそんな感じなのだと思います。 「自分はこうだけど、あの人は違う感覚なんだな」 と知っておくことが大切、というお話、とても参考になりました。 ありがとうございました。
| 寿⇒りこ⭐ | |
| 2026/06/07 12:07[web全体で公開] |
初めまして。寿と申します。 本来のTRPGのPCは、 冒険をするために生み出した自分の分身というべき存在ですね。 なので、自分自身を「うちの子」とは呼ばないのと同じで、 PCについてもあまりそういう感覚はありません。 一方で、時代とともに遊び方が多様化して、 近年は自分の創作キャラクター、創作作品として愛着を持ち、 「うちの子」と呼ぶ方も多くなりました。 それ自体は問題ないんですが、 この価値観の違いが、時々トラブルの原因になることもあります。 例えば、自分の分身として見る人と、自分の作品として見る人では、 キャラクターの危険や失敗に対する受け止め方が違うことがあります。 だからこそ「自分はこうだけど、あの人は違う感覚なんだな」 と知っておくことは大切だと思います。 「その世界で生きる一人の人物として見ている」という感覚は、 とても自然な、本来のTRPGの楽しみ方だと感じました。
| COBRA⇒寿 | |
| 2026/06/06 17:12[web全体で公開] |
>>PCが世界や歴史を構築していく >最初期ならではの楽しみですね。私もその時代を経験してみたかった。 これからでも可能ですよ! ヴァンがナイツダークテラーCPに時間を超えて参加してノウンワールド側で成長することも https://trpgsession.com/community/commu147836176520/thre150326541216/ ブラックムーアで領地運営するとかも可能です。
| 寿 | |
| 2026/06/04 21:39[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その3「本来のGMの役割は何だったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回は、昔ながらのTRPGがどんな遊びだったのかを書いた。 プレイヤーが状況を分析し、自分で考え、自分で判断しながら未知の世界を攻略する。 そんな「冒険シミュレーション」としての側面が強かったという話だ。 では、その時代のGMは何をしていたのだろうか? もちろん、一概には言えないのだが、 あくまで私の知る範囲で、昔ながらのGMがどんな役割だったのかを、 分かりやすく書いてみたい。 その前に一つだけ。 私は昔ながらの遊び方が好きだが、「昔の方が正しい」と言いたいわけではない。 最近はスタイルの違いによるすれ違いをよく見かける。 原因の一つは、プレイスタイルの差異を知らない事ではないかと思っている。 だからこれは「本来こういう遊び方もあったんだよ」 という話として読んでもらえれば幸いだ。 * 最近のTRPGだと、GMはシナリオの進行役というイメージが強い。 導入を行い、情報を出し、時には答えを出し、シーンを切り替え、 クライマックスへ誘導し、エンディングまで運ぶ。 SEやBGM、NPCやモンスターの立ち絵や背景も用意する。 いわば参加者を楽しませるアトラクションのプロデューサーであり、 ドラマの脚本家兼演出家のような立場だ。 だが、昔ながらのTRPGでは少し違った。 本来のGMは、脚本家でも演出家でもない。 前回もちょっと触れたが、世界の管理者であり、審判役だった。 * ■ 本来のTRPGでは、GMは結末を知らない 現代のシナリオでは、 「事件が起きる」→「調査する」→「犯人が判明する」→「最終決戦」 という流れが最初から決まっていて、事前に用意されている事が多い。 もちろん途中の選択肢があったりもするが、大枠の流れはすでに存在する。 一方、昔ながらのTRPGでは、GM自身も結末が分からないのが普通だった。 なぜなら、プレイヤーが何をするか分からないからだ。 敵の本拠地へ向かうかと思ったら、街に戻るかもしれない。 依頼を断るかもしれない。敵と交渉するかもしれない。村に住み着くかもしれない。 だからGMの仕事は、「物語を朗読して進める事」ではなく、 「その行動なら世界で何が起きるか」を公平に判断してPLに返す事だった。 * ■ 本来のTRPGでは、GMはストーリーを作るのではなく世界を作る。 例えば、漁村があるとする。現代型のシナリオなら、 村長が依頼を出す→事件の被害者がいる→手掛かりがある→村人が情報を話す →犯人がいる といったストーリーが、あらかじめ用意される。 現代型のセッションに必要なのは、そのシナリオに関係する部分だけだ。 必要部分を中心に作られ、それ以外は詳細に決められていない事も多い。 だから古典型のPLが現代型卓に迷い込んで、自由に動き回ろうとするとトラぶる。 自由に行動し宣言するPLに対応できずにGMがパニック起こしたり、 黙り込んでしまったり、卓の雰囲気を壊したり。 私にも前科がある。現代型を知らなかったから。(あの時はごめんね) 先ほど、現代型のGMはドラマの演出家と例えたが、 シナリオ作成を例えるなら、現代型は、舞台のセットに近い。 シナリオで使う部分は細かく作り込まれているが、使わない部分は省略される事も多い。 舞台上の場面の絵が描いてあるが、裏に回ればただの板であるカキワリのようなものだ。 しかし昔ながらのGMは違う。ストーリーを決めるのではなく設定を決める。 カキワリ一枚だけではなく、舞台の裏側にも、GMが設定した世界が広がっている。 PLが裏へ回ろうと思った時に困らないようにするためだ。 * この漁村は・・・ 人口は100人、うち漁師は35人。村長は老年の男性。 神殿や司祭はいないが、老齢の女性薬師が一人。宿屋はない。 街道から半日歩いたところにある。村民は、ほとんど村の外には出ない。 沿岸漁業で生計を立てていて、一日の平均水揚げ量は500kg。 水揚げ作業運搬用にロバが一頭だけ飼われている。管理は村長。 日持ちするように、水揚げした後は、村内で加工する。 村内に、燻製小屋、干物小屋、塩漬け小屋などがある。 週に一度、国から徴税官に任命されている商人が出入りして、 魚を買い上げる。うち4割は税として物納。 保有漁船は12隻。うち1隻は空いているので貸出可能。 小屋も一つ空き小屋があり貸出可能。 保存食(干物)、日用雑貨などは調達可能。 漁船は、漁火漁用の船で、2人から4人で乗船する。全幅2m、全長8m。 漁網や船倉などのスペースもあり、移動するだけなら10人でも乗船可能。 ・・・と、こんな感じで、設定を考える。 上記は、ちょうど今やっているセッションで私が考えた設定の一部。 なんでこんな事をするかと言えば、プレイヤーが何を始めるか分からないからだ。 事件を調べるかもしれない。船を借りるかもしれない。漁師を雇うかもしれない。 村に移住するかもしれない。村長と喧嘩して村を乗っ取ろうとするかもしれない。 ロープが欲しいと言われればいくらでもあるけど、 網が欲しいと言われても、それは漁師の命だ、貸せないぞ。 だからGMは、まず箱庭世界を作る。 シナリオはこういう設定の積み重ねでできるものだった。 一本道のストーリーだけではなかった。 * ■ 使われない設定だらけ そして面白い事に、そうやって作った設定の大半は実は使われないという現実。 人口百人の村を作っても、プレイヤーが知るのは村長だけかもしれない。 近隣領主との政治関係を考えても、一度も話題にならないかもしれない。 漁船が何隻ある設定を作っても、誰も船に興味を持たないかもしれない。 この設定をPLが知る必要はないし、知らなくても攻略に支障はない。 というか極論、この村に来るかどうかもPLの自由で、訪問しないかもしれない。 今の感覚だと「じゃあ作る意味ないじゃん」と思うかもしれない。 でも、きちんと決められた設定があるから、 プレイヤーが予想外の行動をした時にも対応できる。 世界が実在している感覚を維持できる。世界に没入できる。それが大事だった。 アドリブというのは、こういう設定が出来ているからこそ、 どんなに外れた行動をしても適切に対応できるという事だ。 * ■ GMは、ご都合主義でプレイヤーを助けない これも今との大きな違いかもしれない。 昔ながらのGMは、基本的にプレイヤーを露骨に正解へ誘導しない。 PLの油断で情報を見落としたなら見落としたまま。 無警戒で、危険を察知できなかったなら、その結果を受ける。 もちろん意地悪をするわけではない。ただ、公平であろうとする。 プレイヤーに都合よく強引に正解に誘導したり、世界を書き換えない。 失敗したなら失敗。成功したなら成功。それだけだった。 だから、GMは脚本家や演出家である前に、公平な審判だった。 ただ誤解の無いように断っておくけど、ゲームの目的は皆が楽しむ事なのは同じ。 ゆえに、GMがさじ加減に気を配っていたのは昔も同じ。 見落としたなら、さりげなくヒントを出したり、 むしろ今よりもずっと心を砕いていたと思う。 なぜならシビアだからこそ、 気を付けないと予期せぬピンチで簡単に全滅してしまうからだ。 ストーリーが決まっている現代型なら、 逆にそこまでの絶妙なさじ加減の苦労は必要ないだろう。 * ■ だから本来のGMの役割は楽ではない よく、GMなんて誰でもできると公式などが言ってるけど、あれは建前。 そう言わないと商売にならないものな。 でも現代型のGMは割とそれに近くなった。 誰でもできるように負荷を軽くして効率化されるよう進化をしたから。 誰でも出来るというのは、非常に良い進化だと思う。 古典型の場合は、実際GMをやるためには、 それなりの熟練度が必要で、難易度はかなり高かったと思う。 シナリオを作るたびに、世界設定を作り、村設定を作り、街設定を作り、 ダンジョンを作る。 各組織の勢力図や抱えている問題などの設定も作る。 NPCの状況、目的、背景を考える。 時間経過で何が起きるか考える。プレイヤーが何をやっても対応できるよう準備する。 だから決して楽ではない。今より大変だった部分も多い。 もっとも、仲間内でわいわい遊ぶのなら、例えグダグダになっても、 それもまた楽しいはずなのだけれど。 そういう意味では誰でもGMが出来るのも間違いではない。 * ■ 最後に こうして見ると、昔ながらのGMの仕事の一番は、 物語を語る事ではなく、「世界を成立させる事」だったと言える。 プレイヤーがどこへ行こうが、何をしようが、その世界が自然に反応できるよう準備する。 だから必要だったのは脚本術や演出力よりも、 設定構築力や裁定能力、そしてアドリブ力だった。 ここまで書くと、昔ながらのTRPGが 厳格で息苦しい高難易度ゲームに見えるかもしれない。 でも実際は少し違う。 結局のところ、TRPGは皆で集まって、お菓子や飲み物をつまみながら、 「それ危なくない?」「いや、こうしたらいけるんじゃない?」 「GM、それ分かりにくいよ!」「もっとヒントないの?」「それは甘えだろw」 みたいに、あーだこーだ掛け合いしながら遊ぶゲームだった。 分からなければ質問していいし、GMと交渉したっていい。 PL発言禁止なんて縛りはなかった。 むしろ、そういうやり取りこそ、セッションの最も大事な要素だった。 そう考えるとむしろ、「キャラになりきって話して」「pl発言禁止」「メタ発言禁止」 「メインタブではRPしてください」などなど縛りが多い現代型の方が、 よっぽど厳格でとっつきにくい要素があるとも言えるかもしれない。 だから昔ながらのTRPGは、黙って正解を探すゲームではない。 戦術シミュレーション要素が強くても、脳内だけで思考するゲームではない。 遠慮せず質問して、提案して、相談して、遠慮せず世界に働きかける。 そうやってGMとPL全員で世界を作り、物語を作っていく遊びだった。 もちろん意見が割れる事もある。そんな時は最終的にGMが裁定し、皆はそれに従う。 それがゴールデンルールだ。 だからGMは審判役でもあるのだけれど、基本は対立するためではない。 プレイヤー達が同じ世界を共有し、その世界が自然に動き続けるよう管理する。 そして、その中で起きた出来事の積み重ねとしてオンリーワンの物語が生まれる。 昔ながらのGMとは、そんな役割だったのだと思う。 つづく。
| 寿⇒COBRA | |
| 2026/06/04 20:47[web全体で公開] |
コメントありがとうございます。 確かに武術とスポーツの違いという例えは分かりやすいですね。 PCの成功が保証されていないからこそ、戦術や準備そのものが遊びになる、という部分はあると思います。 >PCが世界や歴史を構築していく 最初期ならではの楽しみですね。私もその時代を経験してみたかった。
| COBRA⇒寿 | |
| 2026/06/01 21:58[web全体で公開] |
> 日記: TRPGとは何か?その2「本来は、なんだったのか?」 ”「スクール」は「流派」「やり方」という意味” との文面を拝見しながら武術に通じる感も確かにあるのかも~、と思いました。 金的OKやサミング前提とかではスポーツは成立しっこないですけど、リアル護身と格闘技は別物ですし。 「PC達の物語的な成功がシナリオで確約されてるヤラセゴッコ遊びではない」からこそ、 古流の方が「ガチ」な分、戦術やリリース管理、経営などの実践シミュレーション的なものはPLも研ぎ澄まされるというか。 おふざけしてるのに成功だけはしたいPLとかだと古流RPGは上手くいかなくて疲弊しちゃう人もいるようですが。 嗜好以上に、いざって時に「その人が出来る出来ない」は厳しいですからね。 飛車角を落としてもらっての舐めプ将棋でのさしたツモリが楽しい人もいるのかは私は知りませんが。 また箱庭にしてもSLGからRPGに変わった黎明期には売ってる側すらも 「世界観?そんなのはDMが作って、PC達の活躍や失敗で形作られていくものだろ! え?商用ニーズあんの?マジで!?じゃあ売ろう!」みたいな感じで、ブラックムーアやグレイホークがソースブックとして提供販売されていく流れでしたし、 私は卓メンバーのPCが世界や歴史を構築していく感がOSRは楽しいです。 なので後発で公式年表だのが出てくると邪魔でしかたないんですよねw
| 寿⇒セス・メイソン(CoC7PC名) | |
| 2026/06/01 20:30[web全体で公開] |
コメントありがとうございます。 確かに昔みたいに「10フィート棒で床を突く」「扉を聞き耳する」 を毎回細かくやると、今の卓ではテンポの問題もありますね。 箱庭型が減った理由もおっしゃる通りかもしれませんね。 世界を動かし続けるより、シナリオを管理した方が圧倒的にGM負担は軽くなりますし。 その結果として「攻略する遊び」から「体験する遊び」へ重心が移ったのかな、と最近考えています。
| セス・メイソン(CoC7PC名)⇒寿 | |
| 2026/06/01 16:37[web全体で公開] |
> 日記: TRPGとは何か?その2「本来は、なんだったのか?」 コメント失礼します。 固有名詞は存じ上げませんが私はオールド スクール大好きな方です。小説的表現を得られるので文章の学習にもなります。 昔は静的な表現が多く、一歩進む内に異常が無いか検知図ったりしましたが最近は流石に遅延行為になりそうなので、卓主催者の提示の範囲内で想像してます。 逆に動的な表現、数秒間の攻防への表現が増えた印象です。 各地に旅する漫遊記系からダンジョン探索系への変遷で徐々にやり取り変わってきた気がします。 前者は文化的なすれ違い、後者は攻略ギミックが趣旨で、 後者の方がシナリオとして用意しやすいのも箱庭型世界が減ってきた要因なんですかねぇ、知らんけど。

