寿さんの日記
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日記一覧
| 寿 | |
| 2026/06/12 09:50[web全体で公開] |
| 寿 | |
| 2026/06/04 21:39[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その3「本来のGMの役割は何だったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回は、昔ながらのTRPGがどんな遊びだったのかを書いた。 プレイヤーが状況を分析し、自分で考え、自分で判断しながら未知の世界を攻略する。 そんな「冒険シミュレーション」としての側面が強かったという話だ。 では、その時代のGMは何をしていたのだろうか? もちろん、一概には言えないのだが、 あくまで私の知る範囲で、昔ながらのGMがどんな役割だったのかを、 分かりやすく書いてみたい。 その前に一つだけ。 私は昔ながらの遊び方が好きだが、「昔の方が正しい」と言いたいわけではない。 最近はスタイルの違いによるすれ違いをよく見かける。 原因の一つは、プレイスタイルの差異を知らない事ではないかと思っている。 だからこれは「本来こういう遊び方もあったんだよ」 という話として読んでもらえれば幸いだ。 * 最近のTRPGだと、GMはシナリオの進行役というイメージが強い。 導入を行い、情報を出し、時には答えを出し、シーンを切り替え、 クライマックスへ誘導し、エンディングまで運ぶ。 SEやBGM、NPCやモンスターの立ち絵や背景も用意する。 いわば参加者を楽しませるアトラクションのプロデューサーであり、 ドラマの脚本家兼演出家のような立場だ。 だが、昔ながらのTRPGでは少し違った。 本来のGMは、脚本家でも演出家でもない。 前回もちょっと触れたが、世界の管理者であり、審判役だった。 * ■ 本来のTRPGでは、GMは結末を知らない 現代のシナリオでは、 「事件が起きる」→「調査する」→「犯人が判明する」→「最終決戦」 という流れが最初から決まっていて、事前に用意されている事が多い。 もちろん途中の選択肢があったりもするが、大枠の流れはすでに存在する。 一方、昔ながらのTRPGでは、GM自身も結末が分からないのが普通だった。 なぜなら、プレイヤーが何をするか分からないからだ。 敵の本拠地へ向かうかと思ったら、街に戻るかもしれない。 依頼を断るかもしれない。敵と交渉するかもしれない。村に住み着くかもしれない。 だからGMの仕事は、「物語を朗読して進める事」ではなく、 「その行動なら世界で何が起きるか」を公平に判断してPLに返す事だった。 * ■ 本来のTRPGでは、GMはストーリーを作るのではなく世界を作る。 例えば、漁村があるとする。現代型のシナリオなら、 村長が依頼を出す→事件の被害者がいる→手掛かりがある→村人が情報を話す →犯人がいる といったストーリーが、あらかじめ用意される。 現代型のセッションに必要なのは、そのシナリオに関係する部分だけだ。 必要部分を中心に作られ、それ以外は詳細に決められていない事も多い。 だから古典型のPLが現代型卓に迷い込んで、自由に動き回ろうとするとトラぶる。 自由に行動し宣言するPLに対応できずにGMがパニック起こしたり、 黙り込んでしまったり、卓の雰囲気を壊したり。 私にも前科がある。現代型を知らなかったから。(あの時はごめんね) 先ほど、現代型のGMはドラマの演出家と例えたが、 シナリオ作成を例えるなら、現代型は、舞台のセットに近い。 シナリオで使う部分は細かく作り込まれているが、使わない部分は省略される事も多い。 舞台上の場面の絵が描いてあるが、裏に回ればただの板であるカキワリのようなものだ。 しかし昔ながらのGMは違う。ストーリーを決めるのではなく設定を決める。 カキワリ一枚だけではなく、舞台の裏側にも、GMが設定した世界が広がっている。 PLが裏へ回ろうと思った時に困らないようにするためだ。 * この漁村は・・・ 人口は100人、うち漁師は35人。村長は老年の男性。 神殿や司祭はいないが、老齢の女性薬師が一人。宿屋はない。 街道から半日歩いたところにある。村民は、ほとんど村の外には出ない。 沿岸漁業で生計を立てていて、一日の平均水揚げ量は500kg。 水揚げ作業運搬用にロバが一頭だけ飼われている。管理は村長。 日持ちするように、水揚げした後は、村内で加工する。 村内に、燻製小屋、干物小屋、塩漬け小屋などがある。 週に一度、国から徴税官に任命されている商人が出入りして、 魚を買い上げる。うち4割は税として物納。 保有漁船は12隻。うち1隻は空いているので貸出可能。 小屋も一つ空き小屋があり貸出可能。 保存食(干物)、日用雑貨などは調達可能。 漁船は、漁火漁用の船で、2人から4人で乗船する。全幅2m、全長8m。 漁網や船倉などのスペースもあり、移動するだけなら10人でも乗船可能。 ・・・と、こんな感じで、設定を考える。 上記は、ちょうど今やっているセッションで私が考えた設定の一部。 なんでこんな事をするかと言えば、プレイヤーが何を始めるか分からないからだ。 事件を調べるかもしれない。船を借りるかもしれない。漁師を雇うかもしれない。 村に移住するかもしれない。村長と喧嘩して村を乗っ取ろうとするかもしれない。 ロープが欲しいと言われればいくらでもあるけど、 網が欲しいと言われても、それは漁師の命だ、貸せないぞ。 だからGMは、まず箱庭世界を作る。 シナリオはこういう設定の積み重ねでできるものだった。 一本道のストーリーだけではなかった。 * ■ 使われない設定だらけ そして面白い事に、そうやって作った設定の大半は実は使われないという現実。 人口百人の村を作っても、プレイヤーが知るのは村長だけかもしれない。 近隣領主との政治関係を考えても、一度も話題にならないかもしれない。 漁船が何隻ある設定を作っても、誰も船に興味を持たないかもしれない。 この設定をPLが知る必要はないし、知らなくても攻略に支障はない。 というか極論、この村に来るかどうかもPLの自由で、訪問しないかもしれない。 今の感覚だと「じゃあ作る意味ないじゃん」と思うかもしれない。 でも、きちんと決められた設定があるから、 プレイヤーが予想外の行動をした時にも対応できる。 世界が実在している感覚を維持できる。世界に没入できる。それが大事だった。 アドリブというのは、こういう設定が出来ているからこそ、 どんなに外れた行動をしても適切に対応できるという事だ。 * ■ GMは、ご都合主義でプレイヤーを助けない これも今との大きな違いかもしれない。 昔ながらのGMは、基本的にプレイヤーを露骨に正解へ誘導しない。 PLの油断で情報を見落としたなら見落としたまま。 無警戒で、危険を察知できなかったなら、その結果を受ける。 もちろん意地悪をするわけではない。ただ、公平であろうとする。 プレイヤーに都合よく強引に正解に誘導したり、世界を書き換えない。 失敗したなら失敗。成功したなら成功。それだけだった。 だから、GMは脚本家や演出家である前に、公平な審判だった。 ただ誤解の無いように断っておくけど、ゲームの目的は皆が楽しむ事なのは同じ。 ゆえに、GMがさじ加減に気を配っていたのは昔も同じ。 見落としたなら、さりげなくヒントを出したり、 むしろ今よりもずっと心を砕いていたと思う。 なぜならシビアだからこそ、 気を付けないと予期せぬピンチで簡単に全滅してしまうからだ。 ストーリーが決まっている現代型なら、 逆にそこまでの絶妙なさじ加減の苦労は必要ないだろう。 * ■ だから本来のGMの役割は楽ではない よく、GMなんて誰でもできると公式などが言ってるけど、あれは建前。 そう言わないと商売にならないものな。 でも現代型のGMは割とそれに近くなった。 誰でもできるように負荷を軽くして効率化されるよう進化をしたから。 誰でも出来るというのは、非常に良い進化だと思う。 古典型の場合は、実際GMをやるためには、 それなりの熟練度が必要で、難易度はかなり高かったと思う。 シナリオを作るたびに、世界設定を作り、村設定を作り、街設定を作り、 ダンジョンを作る。 各組織の勢力図や抱えている問題などの設定も作る。 NPCの状況、目的、背景を考える。 時間経過で何が起きるか考える。プレイヤーが何をやっても対応できるよう準備する。 だから決して楽ではない。今より大変だった部分も多い。 もっとも、仲間内でわいわい遊ぶのなら、例えグダグダになっても、 それもまた楽しいはずなのだけれど。 そういう意味では誰でもGMが出来るのも間違いではない。 * ■ 最後に こうして見ると、昔ながらのGMの仕事の一番は、 物語を語る事ではなく、「世界を成立させる事」だったと言える。 プレイヤーがどこへ行こうが、何をしようが、その世界が自然に反応できるよう準備する。 だから必要だったのは脚本術や演出力よりも、 設定構築力や裁定能力、そしてアドリブ力だった。 ここまで書くと、昔ながらのTRPGが 厳格で息苦しい高難易度ゲームに見えるかもしれない。 でも実際は少し違う。 結局のところ、TRPGは皆で集まって、お菓子や飲み物をつまみながら、 「それ危なくない?」「いや、こうしたらいけるんじゃない?」 「GM、それ分かりにくいよ!」「もっとヒントないの?」「それは甘えだろw」 みたいに、あーだこーだ掛け合いしながら遊ぶゲームだった。 分からなければ質問していいし、GMと交渉したっていい。 PL発言禁止なんて縛りはなかった。 むしろ、そういうやり取りこそ、セッションの最も大事な要素だった。 そう考えるとむしろ、「キャラになりきって話して」「pl発言禁止」「メタ発言禁止」 「メインタブではRPしてください」などなど縛りが多い現代型の方が、 よっぽど厳格でとっつきにくい要素があるとも言えるかもしれない。 だから昔ながらのTRPGは、黙って正解を探すゲームではない。 戦術シミュレーション要素が強くても、脳内だけで思考するゲームではない。 遠慮せず質問して、提案して、相談して、遠慮せず世界に働きかける。 そうやってGMとPL全員で世界を作り、物語を作っていく遊びだった。 もちろん意見が割れる事もある。そんな時は最終的にGMが裁定し、皆はそれに従う。 それがゴールデンルールだ。 だからGMは審判役でもあるのだけれど、基本は対立するためではない。 プレイヤー達が同じ世界を共有し、その世界が自然に動き続けるよう管理する。 そして、その中で起きた出来事の積み重ねとしてオンリーワンの物語が生まれる。 昔ながらのGMとは、そんな役割だったのだと思う。 つづく。
| 寿 | |
| 2026/05/28 23:45[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その2「本来は、なんだったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回、コンピュータRPGの話を書いた。 昔はプレイヤー自身が未知を攻略するゲームでTRPGもかなり近い構造をしていた。 今までコツコツ調べたり体験したりした事を、一度整理してみる。 最近は「TRPG=キャラクターになりきって物語を楽しむ遊び」というイメージがかなり強い。 もちろん、それもTRPGの一つの形ではある。でも本来のTRPGは違っていた。 今で言う「オールドスクール」。「古い学校」が舞台の学園系TRPG・・・という意味ではないw 海外由来なので分かりにくいが、「スクール」は「流派」「やり方」という意味。 「オールドスクール」とは、単純に「昔ながらのやり方」という事。 では、その「昔ながらのTRPG」とは何だったのか? ざっくり言うと、プレイヤーが自分の想像力を使って箱庭世界へ没入し、 冒険者として未知の状況を、自分の判断で突破していく遊びだった。 * ※ 箱庭世界とは?(箱庭型、サンドボックス) 昔のTRPG世界は、今みたいに「プレイヤーのために都合よく進行する舞台」ではなかった。 NPCも、必要情報だけ喋る便利な舞台装置ではなかった。 街には街の事情があり、敵には敵の目的があり、登場人物には背景が設定されている。 プレイヤーが動かなくても世界は存在し続けるし、都合よく時間停止して待ってくれたりもしない。 だからこそ「ここは危険そうだ」「補給なしでは進めない」みたいな臨場感が生まれる。 箱庭型では、まず世界そのものが存在し、物語はプレイヤー行動の結果として後から発生する。 つまり、最初から決められたドラマを辿るのではなく、 プレイヤーが世界へ働きかけた結果として物語が生まれる構造だった。 当然、GMの役割も今とはかなり違う。 本来のGMは、脚本家でも演出家でもなく、世界を管理し裁定する審判役だ。 GMの役目は、世界の状況を提示し、プレイヤー行動の結果を公平に処理する事。 プレイヤーを決められた展開へ誘導するのではなく、 「その行動なら、この世界では何が起きるか?」を判断する。 だからGMも結末を知らない。PLの行動の積み重ねで物語が出来る、それがTRPGだった。 * そもそもTRPGは、ウォーゲーム文化から派生しているので 元々、戦術・情報収集・危険回避といった作戦シミュレーションの要素が強かった。 重要なのは、決められた物語を体験する事ではなく「この世界でどう生き残るか?」を考える事。 つまりシナリオ消費ではなく、プレイヤー自身が世界へ能動的に働きかける遊びだった。 だから昔のTRPGでは、キャラクターシート以上に、プレイヤー自身の発想と工夫が重要になる。 例えばダンジョン探索。 GMは「薄暗い石造りの通路が北へ伸びている」程度しか説明しない。 そこでPLは考える。 「壁は湿ってる?」「風は来てる?」「床に足跡は?」「天井の高さは?」「先は何mくらい見える?」 みたいなのを、GMから指示される事なく、自発的に質問したり宣言していく。 つまり「技能で判定でおしまい」ではなく、 “どう調べるか”“どう安全確認するか”“どう突破するか”を考えるゲームだった。 戦闘も同じ。正面から殴り合うだけではない。待ち伏せ、交渉、撤退、地形利用、分断、奇襲。 仲間と相談し、状況を分析し「どう戦えば有利か?」を考える。 だからプレイヤーの知恵や注意力が非常に重要だった。 例えば「この通路、不自然に静かじゃないか?」「部屋の形と外周が合わない」 みたいな違和感に気づけるかどうか。 あるいは「扉の前に立たない」「宝箱を開ける前に周囲を見る」「退路を確保してから戦う」 みたいな慎重さ。 “なりきり”ではない。“状況分析、危機管理、探索シミュレーション”に近かった。 だから「能力値が高いから正解が出る」わけではない。 プレイヤーが正しい発想をしなければ普通に死ぬ。 いくら戦士が強くても、不用意に扉を開ければ毒ガスで全滅する。 いくら盗賊技能が高くても、「調べる」という発想が無ければ落とし穴に落ちる。 つまり「ルルブに書かれた行動を選ぶゲーム」ではなく 「状況に対して自分で解決策を考えるゲーム」だった。 TRPGの原型がウォーゲームなのだから、ある意味当然でもある。 敵戦力は?退路は?補給は?伏兵は?どこで戦う? 限られた情報から状況を推測し、判断し、行動を決める。 その延長線上に、「では個人単位で冒険してみよう」という発想が生まれ、TRPGへ繋がっていった。 だから初期TRPGでは、“攻略”の比重が非常に大きい。 今の感覚だと「キャラクター感情」「物語演出」が中心に見えるかもしれない。 でも昔は、まず先に「この危機を突破できるのか?」「生きて帰れるのか?」が重要だった。 だから、松明の本数を数える。食料を管理する。ロープを持つ。扉に釘を打つ。逃走経路を確保する。 こういう行動が地味に重要だった。 「この準備で大丈夫か?」「奥へ進むべきか?」「撤退するべきでは?」「どういう作戦で行く?」 皆で相談し、推測し、決断し、手順を考え、段取りを組み、生還する。そこに達成感があった。 ・・・のだけど。 現代型TRPGは、この“攻略”部分をかなり整理・簡略化する方向へ進化した。 探索は判定で進む。情報は自動で出てくる。詰まればGMが誘導する。 その代わり、キャラクター感情や演出、物語体験が重視される。 実際「TRPGとは大人のおままごと」と表現する現代型プレイヤーもかなり多い。 古典型から見ると「???」としっくりこないのだけど、別に悪い進化ではない。 そもそもTRPGに限らず、あらゆる遊びは時代とともに最適化・効率化される。 リメイク版ドラクエが非常に快適になったように、現代型TRPGも、合理化されたとも言える。 ただ、その結果、昔のTRPGとは「何を遊ぶゲームなのか?」という 定義そのものが変化してしまった。 だから、古典型の感覚を持つ人と、現代型の感覚を持つ人では、 同じ「TRPG」という言葉を使っていても、実は見ているものがかなり違う。 極端に言えば、別文化、別競技、別ゲームに近い。 にも拘わらず、同じTRPG同じシステムに、別の価値観が混在していて 当人達も、自分がどの文化圏の遊びをしているか、意外と自覚していない。 だから同じシステムでも、悪気なく異文化衝突の対人トラブルが起きる。 「ちゃんと探索したい人」と、「物語を楽しみたい人」が、 お互いに「なんでそういう遊び方をするの?」となってしまう。困ったもんだよね。 つづく。
| 寿 | |
| 2026/05/24 21:38[web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その1「コンピュータRPGの今昔」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)最近、リメイク版のドラゴンクエスト2を遊んでいる。驚くほど遊びやすい。楽しい。 次の目的地は地図に表示されるし、敵の弱点も自動で出る。 戦闘はボタン一つでAIが勝手に進めてくれる。 昔みたいに「この敵にはメラが効くのか?」「誰が回復する?」 「守備力を上げるべきか?」などを毎回、細かく戦術を考えなくてもよい。 正直、とても楽で面白いし快適だ。 子供のころは、ゲームに何時間でも使えた。でも今は違う。 仕事や生活の合間に遊ぶので、快適さは本当にありがたい。 短時間でもサクサク進められる今のRPGは、今の自分にちょうど合っていると思う。 けれど、遊んでいるうちに、昔のRPGを思い出した。 特にウィザードリーだ。 あの時代のゲームは、今とはまったく違っていた。 まず、何も教えてくれない。 次にどこへ行けばいいのかも、自分で考える。敵の弱点も試しながら探す。 戦闘では「誰が何をするか」を一人ずつ決めなければならない。しかも一歩間違えれば全滅する。 そして何より特徴的だったのが、ダンジョンのマッピング。 ウィザードリィのPC版には、箱の中に方眼紙が入っていた。 つまり「自分で地図を書け」ということだ。 プレイヤーは鉛筆を持ち、一歩進むたびに線を書き込んでいく。 壁、扉、通路を少しずつ記録しながら、迷宮の全体像を探っていくのである。 だが、迷宮はそんな簡単には攻略させてくれない。歩いているうちに、突然地図が合わなくなる。 「なんで?おかしい」 「この壁はさっき反対側にあったはずだ」 「なぜか壁の中に入り込んでいる」 最初は自分が地図を書き間違えたのだと思う。 消しゴムで消して、また書き直す。それでもやはり辻褄が合わない。 そして何度も試行錯誤した末に、ようやく気づく。 「・・・ここが回転床のトラップになっているんだ」 床を踏んだ瞬間、キャラクターの向きだけがランダムに変わっていたのである。 しかしゲームは、そんなことを一切教えてくれない。 ヒントもない。説明もない。自分で異常に気づき、自分で法則を見つけるしかない。 今思えば、あれは単にゲームを遊んでいたのではなく、 未知の迷宮を、本当に調査していた感覚。本当の冒険。 だからこそ、発見した時の興奮は凄かった。 「ああ、そういうことだったのか!」 と理解した瞬間、自分が迷宮の秘密を解き明かした気分になった。 現代のゲームは、とても親切だ。迷わないし、詰まりにくい。 快適で、遊びやすい。それは間違いなく良い進化だと思う。 しかし一方で、昔のゲームには、「自分で世界を攻略している感覚」が確かにあった。 地図を書き、間違え、考え、また修正する。 誰も答えを教えてくれない中で、少しずつ迷宮の構造を理解していく。 あの苦労は大変だった。でも、だからこそ面白かった。 今でも、人生でもっとも熱狂したゲームは何かと聞かれたら、 おそらくウィザードリィを挙げるかもしれない。 TRPGも同じだと思う。昔のTRPGも、かなり「ウィザードリィ的」だった。 つまり、ゲーム側が全部を整理してくれない。 プレイヤー自身が、状況を把握し、情報を整理し、地図を書き、危険を予測し、 行動を宣言し、試行錯誤しながら進む必要があった。 たとえばダンジョン探索では、 「北へ10m進む」 「扉を調べる」 「床を槍で突いてみる」 「通路の幅を確認する」 「角から鏡を出して覗く」 みたいな行動を、一つずつPL自身が自分で考えて宣言して積み重ねていく。 GMも「では探索判定します」と便利処理で全部まとめたりしない。 今みたいに、まるで呪文のように「野営します」と唱えれば、自動で朝になるような進行はしない。 全てにおいて、PLが手順と段取りを考えてGMに提示しなければならない。 プレイヤー側が「どうやって探索するのか」を考える、思考ゲーム、知的ゲームだった。 だから、昔のTRPGは、キャラクターではなく、 “プレイヤー本人が迷宮を攻略する”感覚が強かった。 一方、現代寄りのTRPGは、シナリオ誘導、シーン制、情報保証、判定一発処理、 失敗しても巻き戻し可、演出重視、キャラクター感情重視の方向へ進んだ。 これはコンピュータRPGの変化とかなり似ている。手軽で快適で楽しい。 つまり、 昔:攻略そのものを遊ぶ 今:物語や体験を快適に楽しむ へ重心が移った。 もちろん、どちらが正しいという話ではない。 現代型は、忙しい人でも参加しやすいし、詰まりにくいし、ドラマを楽しみやすい。 でも古典型には、「本当に未知の場所へ潜っている」感覚がある。 誰も正解を保証してくれない。 だから、 「この部屋おかしくないか?」 「この通路ループしてる?」 「今の音は何だ?」 みたいな、小さな違和感から推理が始まる。 そして、自分たちの判断で突破した時、強烈なカタルシスや達成感が生まれる。 だから昔のTRPGを語る人が、「冒険していた」と言うのは、かなり文字通りなんだと思う。
| 寿 | |
| 2026/05/19 18:45[web全体で公開] |
🤔 ルルブをまとめ買いした。 つい最近、AFF2版と、sw2.5のルルブDXを買った。 中古でとても安く入手出来てラッキーだった。 ただしまだ読めてはいないw でも、いくつかコミュニティに入ってみた。 セッションに参加できるといいな。
| 寿 | |
| 2025/09/09 17:51[web全体で公開] |
😶 酷い物を見た チャットgptって便利よね。私も最近シナリオ作りに利用してる。 あくまでもプロットだけ補助してもらって大幅に手直ししないと使い物にならないけど、幾分手間が省ける。 しかしこの間、あるサイトで、gptが考えたシナリオを一切手直しせずに 丸々コピペしてやってるであろうセッションを見てしまった。もう見てられないぐらいのひどさだった。 gptはいい加減なので、世界観はめちゃくちゃ、 ルルブに存在しない魔法や存在しない効果、存在しないオリジナルモンスターなどてんこ盛り。 当然PLは混乱してGMに質問しまくり、 「すみませんGM、この魔法の効果って・・・」 「すみませんGM、このオリジナルモンスターって・・・」 コピペする前に一回くらい読めばいいのに、全く読まずにコピペしてるのが、 gptを使ってる私の様な人間にはまるわかり。 でもそのPLは知らないようで気づかない。それを良い事にGMが、まあ、ごまかすごまかすw 自分で作りました(キリッ)って感じで、酷い言い訳のオンパレード。 ルルブにない独自解釈ハウスルールのオンパレード。 素直にgptに作ってもらったって言えばいいのに。 知らないで参加してるPLが気の毒になった。
| 寿 | |
| 2025/06/11 14:53[web全体で公開] |
😆 COC6版 猫の絵描きさん 終わった (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)正直、クトゥルフの同人シナリオをなめていた。 というか実際、素人が書いたシナリオだから、 今までの経験上も、クオリティの低い物がほとんどで まともな方が少ないのだけど。 設定に矛盾があったり、前後で情報が食い違っていたり、 思わせぶりな描写をしておいて何も考えてなかったり、 シナリオライターの脳内当てだったり、 お世辞にも完成度が高いとは言い難い作品ばかり。 でも、この同人シナリオは少数の例外だった。 珍しく論理的に破綻していないどころか、 しっかりと構成されていて、設定に矛盾もなく、 順序だてて証拠を集めれば必ず正解にたどり着くようになっている良作でした。 そして切なかったりほっこりしたりと、きちんと物語を楽しむ事も出来た。 こういうのばっかりだと良いんだけどね。 まあセッションて、シナリオだけでなく、 KPやPLとの相性とかも色々あるから一概には言えないけど。 シナリオはクオリティが低いけど、KPが頑張ってくれて楽しめたとか、 同じくシナリオは酷いけど、PL全員が協力的で楽しめたとか実際あるし。 今回はKPにもPLにも恵まれたので運が良かった。 こういうのでオープンなシティ物が出来たらいいんだけどね。難易度は跳ね上がるだろうけどw
| 寿 | |
| 2025/05/15 07:55[web全体で公開] |
😶 coc幸謳う病 生還 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)脱出もの。 初日にダイスの出目が高くファンブルも出たけど、その反動か、 二日目三日目と出目が走り、スペシャルが乱舞して、とんとん拍子に攻略が進んでしまった。 そしてさらにその反動が来て、最終日の出目が高めでSAN値もごっそり減少。 報酬貰ってとんとんでした。 KPが上手く誘導してくれたのでドツボに嵌らずに済んだかな。 ベストエンドとはいかなかったけど、 他人の人生を背負うような難しい選択を迫られてなかなか考えさせられました。 時間制限アリな中で、少々交流しただけのNPCにどこまで寄り添え会えるか、今後の課題かな。
