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🤔 TRPGとは何か?その2「本来は、なんだったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回、コンピュータRPGの話を書いた。 昔はプレイヤー自身が未知を攻略するゲームでTRPGもかなり近い構造をしていた。 今までコツコツ調べたり体験したりした事を、一度整理してみる。 最近は「TRPG=キャラクターになりきって物語を楽しむ遊び」というイメージがかなり強い。 もちろん、それもTRPGの一つの形ではある。でも本来のTRPGは違っていた。 今で言う「オールドスクール」。「古い学校」が舞台の学園系TRPG・・・という意味ではないw 海外由来なので分かりにくいが、「スクール」は「流派」「やり方」という意味。 「オールドスクール」とは、単純に「昔ながらのやり方」という事。 では、その「昔ながらのTRPG」とは何だったのか? ざっくり言うと、プレイヤーが自分の想像力を使って箱庭世界へ没入し、 冒険者として未知の状況を、自分の判断で突破していく遊びだった。 * ※ 箱庭世界とは?(箱庭型、サンドボックス) 昔のTRPG世界は、今みたいに「プレイヤーのために都合よく進行する舞台」ではなかった。 NPCも、必要情報だけ喋る便利な舞台装置ではなかった。 街には街の事情があり、敵には敵の目的があり、登場人物には背景が設定されている。 プレイヤーが動かなくても世界は存在し続けるし、都合よく時間停止して待ってくれたりもしない。 だからこそ「ここは危険そうだ」「補給なしでは進めない」みたいな臨場感が生まれる。 箱庭型では、まず世界そのものが存在し、物語はプレイヤー行動の結果として後から発生する。 つまり、最初から決められたドラマを辿るのではなく、 プレイヤーが世界へ働きかけた結果として物語が生まれる構造だった。 当然、GMの役割も今とはかなり違う。 本来のGMは、脚本家でも演出家でもなく、世界を管理し裁定する審判役だ。 GMの役目は、世界の状況を提示し、プレイヤー行動の結果を公平に処理する事。 プレイヤーを決められた展開へ誘導するのではなく、 「その行動なら、この世界では何が起きるか?」を判断する。 だからGMも結末を知らない。PLの行動の積み重ねで物語が出来る、それがTRPGだった。 * そもそもTRPGは、ウォーゲーム文化から派生しているので 元々、戦術・情報収集・危険回避といった作戦シミュレーションの要素が強かった。 重要なのは、決められた物語を体験する事ではなく「この世界でどう生き残るか?」を考える事。 つまりシナリオ消費ではなく、プレイヤー自身が世界へ能動的に働きかける遊びだった。 だから昔のTRPGでは、キャラクターシート以上に、プレイヤー自身の発想と工夫が重要になる。 例えばダンジョン探索。 GMは「薄暗い石造りの通路が北へ伸びている」程度しか説明しない。 そこでPLは考える。 「壁は湿ってる?」「風は来てる?」「床に足跡は?」「天井の高さは?」「先は何mくらい見える?」 みたいなのを、GMから指示される事なく、自発的に質問したり宣言していく。 つまり「技能で判定でおしまい」ではなく、 “どう調べるか”“どう安全確認するか”“どう突破するか”を考えるゲームだった。 戦闘も同じ。正面から殴り合うだけではない。待ち伏せ、交渉、撤退、地形利用、分断、奇襲。 仲間と相談し、状況を分析し「どう戦えば有利か?」を考える。 だからプレイヤーの知恵や注意力が非常に重要だった。 例えば「この通路、不自然に静かじゃないか?」「部屋の形と外周が合わない」 みたいな違和感に気づけるかどうか。 あるいは「扉の前に立たない」「宝箱を開ける前に周囲を見る」「退路を確保してから戦う」 みたいな慎重さ。 “なりきり”ではない。“状況分析、危機管理、探索シミュレーション”に近かった。 だから「能力値が高いから正解が出る」わけではない。 プレイヤーが正しい発想をしなければ普通に死ぬ。 いくら戦士が強くても、不用意に扉を開ければ毒ガスで全滅する。 いくら盗賊技能が高くても、「調べる」という発想が無ければ落とし穴に落ちる。 つまり「ルルブに書かれた行動を選ぶゲーム」ではなく 「状況に対して自分で解決策を考えるゲーム」だった。 TRPGの原型がウォーゲームなのだから、ある意味当然でもある。 敵戦力は?退路は?補給は?伏兵は?どこで戦う? 限られた情報から状況を推測し、判断し、行動を決める。 その延長線上に、「では個人単位で冒険してみよう」という発想が生まれ、TRPGへ繋がっていった。 だから初期TRPGでは、“攻略”の比重が非常に大きい。 今の感覚だと「キャラクター感情」「物語演出」が中心に見えるかもしれない。 でも昔は、まず先に「この危機を突破できるのか?」「生きて帰れるのか?」が重要だった。 だから、松明の本数を数える。食料を管理する。ロープを持つ。扉に釘を打つ。逃走経路を確保する。 こういう行動が地味に重要だった。 「この準備で大丈夫か?」「奥へ進むべきか?」「撤退するべきでは?」「どういう作戦で行く?」 皆で相談し、推測し、決断し、手順を考え、段取りを組み、生還する。そこに達成感があった。 ・・・のだけど。 現代型TRPGは、この“攻略”部分をかなり整理・簡略化する方向へ進化した。 探索は判定で進む。情報は自動で出てくる。詰まればGMが誘導する。 その代わり、キャラクター感情や演出、物語体験が重視される。 実際「TRPGとは大人のおままごと」と表現する現代型プレイヤーもかなり多い。 古典型から見ると「???」としっくりこないのだけど、別に悪い進化ではない。 そもそもTRPGに限らず、あらゆる遊びは時代とともに最適化・効率化される。 リメイク版ドラクエが非常に快適になったように、現代型TRPGも、合理化されたとも言える。 ただ、その結果、昔のTRPGとは「何を遊ぶゲームなのか?」という 定義そのものが変化してしまった。 だから、古典型の感覚を持つ人と、現代型の感覚を持つ人では、 同じ「TRPG」という言葉を使っていても、実は見ているものがかなり違う。 極端に言えば、別文化、別競技、別ゲームに近い。 にも拘わらず、同じTRPG同じシステムに、別の価値観が混在していて 当人達も、自分がどの文化圏の遊びをしているか、意外と自覚していない。 だから同じシステムでも、悪気なく異文化衝突の対人トラブルが起きる。 「ちゃんと探索したい人」と、「物語を楽しみたい人」が、 お互いに「なんでそういう遊び方をするの?」となってしまう。困ったもんだよね。 つづく。
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