ホワイトさんがいいね!した日記/コメント
ホワイトさんがいいね!した日記/コメントの一覧です。
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| 寿 | |
2026/05/28 23:45 [web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その2「本来は、なんだったのか?」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)前回、コンピュータRPGの話を書いた。 昔はプレイヤー自身が未知を攻略するゲームでTRPGもかなり近い構造をしていた。 今までコツコツ調べたり体験したりした事を、一度整理してみる。 最近は「TRPG=キャラクターになりきって物語を楽しむ遊び」というイメージがかなり強い。 もちろん、それもTRPGの一つの形ではある。でも本来のTRPGは違っていた。 今で言う「オールドスクール」。「古い学校」が舞台の学園系TRPG・・・という意味ではないw 海外由来なので分かりにくいが、「スクール」は「流派」「やり方」という意味。 「オールドスクール」とは、単純に「昔ながらのやり方」という事。 では、その「昔ながらのTRPG」とは何だったのか? ざっくり言うと、プレイヤーが自分の想像力を使って箱庭世界へ没入し、 冒険者として未知の状況を、自分の判断で突破していく遊びだった。 * ※ 箱庭世界とは?(箱庭型、サンドボックス) 昔のTRPG世界は、今みたいに「プレイヤーのために都合よく進行する舞台」ではなかった。 NPCも、必要情報だけ喋る便利な舞台装置ではなかった。 街には街の事情があり、敵には敵の目的があり、登場人物には背景が設定されている。 プレイヤーが動かなくても世界は存在し続けるし、都合よく時間停止して待ってくれたりもしない。 だからこそ「ここは危険そうだ」「補給なしでは進めない」みたいな臨場感が生まれる。 箱庭型では、まず世界そのものが存在し、物語はプレイヤー行動の結果として後から発生する。 つまり、最初から決められたドラマを辿るのではなく、 プレイヤーが世界へ働きかけた結果として物語が生まれる構造だった。 当然、GMの役割も今とはかなり違う。 本来のGMは、脚本家でも演出家でもなく、世界を管理し裁定する審判役だ。 GMの役目は、世界の状況を提示し、プレイヤー行動の結果を公平に処理する事。 プレイヤーを決められた展開へ誘導するのではなく、 「その行動なら、この世界では何が起きるか?」を判断する。 だからGMも結末を知らない。PLの行動の積み重ねで物語が出来る、それがTRPGだった。 * そもそもTRPGは、ウォーゲーム文化から派生しているので 元々、戦術・情報収集・危険回避といった作戦シミュレーションの要素が強かった。 重要なのは、決められた物語を体験する事ではなく「この世界でどう生き残るか?」を考える事。 つまりシナリオ消費ではなく、プレイヤー自身が世界へ能動的に働きかける遊びだった。 だから昔のTRPGでは、キャラクターシート以上に、プレイヤー自身の発想と工夫が重要になる。 例えばダンジョン探索。 GMは「薄暗い石造りの通路が北へ伸びている」程度しか説明しない。 そこでPLは考える。 「壁は湿ってる?」「風は来てる?」「床に足跡は?」「天井の高さは?」「先は何mくらい見える?」 みたいなのを、GMから指示される事なく、自発的に質問したり宣言していく。 つまり「技能で判定でおしまい」ではなく、 “どう調べるか”“どう安全確認するか”“どう突破するか”を考えるゲームだった。 戦闘も同じ。正面から殴り合うだけではない。待ち伏せ、交渉、撤退、地形利用、分断、奇襲。 仲間と相談し、状況を分析し「どう戦えば有利か?」を考える。 だからプレイヤーの知恵や注意力が非常に重要だった。 例えば「この通路、不自然に静かじゃないか?」「部屋の形と外周が合わない」 みたいな違和感に気づけるかどうか。 あるいは「扉の前に立たない」「宝箱を開ける前に周囲を見る」「退路を確保してから戦う」 みたいな慎重さ。 “なりきり”ではない。“状況分析、危機管理、探索シミュレーション”に近かった。 だから「能力値が高いから正解が出る」わけではない。 プレイヤーが正しい発想をしなければ普通に死ぬ。 いくら戦士が強くても、不用意に扉を開ければ毒ガスで全滅する。 いくら盗賊技能が高くても、「調べる」という発想が無ければ落とし穴に落ちる。 つまり「ルルブに書かれた行動を選ぶゲーム」ではなく 「状況に対して自分で解決策を考えるゲーム」だった。 TRPGの原型がウォーゲームなのだから、ある意味当然でもある。 敵戦力は?退路は?補給は?伏兵は?どこで戦う? 限られた情報から状況を推測し、判断し、行動を決める。 その延長線上に、「では個人単位で冒険してみよう」という発想が生まれ、TRPGへ繋がっていった。 だから初期TRPGでは、“攻略”の比重が非常に大きい。 今の感覚だと「キャラクター感情」「物語演出」が中心に見えるかもしれない。 でも昔は、まず先に「この危機を突破できるのか?」「生きて帰れるのか?」が重要だった。 だから、松明の本数を数える。食料を管理する。ロープを持つ。扉に釘を打つ。逃走経路を確保する。 こういう行動が地味に重要だった。 「この準備で大丈夫か?」「奥へ進むべきか?」「撤退するべきでは?」「どういう作戦で行く?」 皆で相談し、推測し、決断し、手順を考え、段取りを組み、生還する。そこに達成感があった。 ・・・のだけど。 現代型TRPGは、この“攻略”部分をかなり整理・簡略化する方向へ進化した。 探索は判定で進む。情報は自動で出てくる。詰まればGMが誘導する。 その代わり、キャラクター感情や演出、物語体験が重視される。 実際「TRPGとは大人のおままごと」と表現する現代型プレイヤーもかなり多い。 古典型から見ると「???」としっくりこないのだけど、別に悪い進化ではない。 そもそもTRPGに限らず、あらゆる遊びは時代とともに最適化・効率化される。 リメイク版ドラクエが非常に快適になったように、現代型TRPGも、合理化されたとも言える。 ただ、その結果、昔のTRPGとは「何を遊ぶゲームなのか?」という 定義そのものが変化してしまった。 だから、古典型の感覚を持つ人と、現代型の感覚を持つ人では、 同じ「TRPG」という言葉を使っていても、実は見ているものがかなり違う。 極端に言えば、別文化、別競技、別ゲームに近い。 にも拘わらず、同じTRPG同じシステムに、別の価値観が混在していて 当人達も、自分がどの文化圏の遊びをしているか、意外と自覚していない。 だから同じシステムでも、悪気なく異文化衝突の対人トラブルが起きる。 「ちゃんと探索したい人」と、「物語を楽しみたい人」が、 お互いに「なんでそういう遊び方をするの?」となってしまう。困ったもんだよね。 つづく。
| 寿 | |
2026/05/24 21:38 [web全体で公開] |
🤔 TRPGとは何か?その1「コンピュータRPGの今昔」 (▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)最近、リメイク版のドラゴンクエスト2を遊んでいる。驚くほど遊びやすい。楽しい。 次の目的地は地図に表示されるし、敵の弱点も自動で出る。 戦闘はボタン一つでAIが勝手に進めてくれる。 昔みたいに「この敵にはメラが効くのか?」「誰が回復する?」 「守備力を上げるべきか?」などを毎回、細かく戦術を考えなくてもよい。 正直、とても楽で面白いし快適だ。 子供のころは、ゲームに何時間でも使えた。でも今は違う。 仕事や生活の合間に遊ぶので、快適さは本当にありがたい。 短時間でもサクサク進められる今のRPGは、今の自分にちょうど合っていると思う。 けれど、遊んでいるうちに、昔のRPGを思い出した。 特にウィザードリーだ。 あの時代のゲームは、今とはまったく違っていた。 まず、何も教えてくれない。 次にどこへ行けばいいのかも、自分で考える。敵の弱点も試しながら探す。 戦闘では「誰が何をするか」を一人ずつ決めなければならない。しかも一歩間違えれば全滅する。 そして何より特徴的だったのが、ダンジョンのマッピング。 ウィザードリィのPC版には、箱の中に方眼紙が入っていた。 つまり「自分で地図を書け」ということだ。 プレイヤーは鉛筆を持ち、一歩進むたびに線を書き込んでいく。 壁、扉、通路を少しずつ記録しながら、迷宮の全体像を探っていくのである。 だが、迷宮はそんな簡単には攻略させてくれない。歩いているうちに、突然地図が合わなくなる。 「なんで?おかしい」 「この壁はさっき反対側にあったはずだ」 「なぜか壁の中に入り込んでいる」 最初は自分が地図を書き間違えたのだと思う。 消しゴムで消して、また書き直す。それでもやはり辻褄が合わない。 そして何度も試行錯誤した末に、ようやく気づく。 「・・・ここが回転床のトラップになっているんだ」 床を踏んだ瞬間、キャラクターの向きだけがランダムに変わっていたのである。 しかしゲームは、そんなことを一切教えてくれない。 ヒントもない。説明もない。自分で異常に気づき、自分で法則を見つけるしかない。 今思えば、あれは単にゲームを遊んでいたのではなく、 未知の迷宮を、本当に調査していた感覚。本当の冒険。 だからこそ、発見した時の興奮は凄かった。 「ああ、そういうことだったのか!」 と理解した瞬間、自分が迷宮の秘密を解き明かした気分になった。 現代のゲームは、とても親切だ。迷わないし、詰まりにくい。 快適で、遊びやすい。それは間違いなく良い進化だと思う。 しかし一方で、昔のゲームには、「自分で世界を攻略している感覚」が確かにあった。 地図を書き、間違え、考え、また修正する。 誰も答えを教えてくれない中で、少しずつ迷宮の構造を理解していく。 あの苦労は大変だった。でも、だからこそ面白かった。 今でも、人生でもっとも熱狂したゲームは何かと聞かれたら、 おそらくウィザードリィを挙げるかもしれない。 TRPGも同じだと思う。昔のTRPGも、かなり「ウィザードリィ的」だった。 つまり、ゲーム側が全部を整理してくれない。 プレイヤー自身が、状況を把握し、情報を整理し、地図を書き、危険を予測し、 行動を宣言し、試行錯誤しながら進む必要があった。 たとえばダンジョン探索では、 「北へ10m進む」 「扉を調べる」 「床を槍で突いてみる」 「通路の幅を確認する」 「角から鏡を出して覗く」 みたいな行動を、一つずつPL自身が自分で考えて宣言して積み重ねていく。 GMも「では探索判定します」と便利処理で全部まとめたりしない。 今みたいに、まるで呪文のように「野営します」と唱えれば、自動で朝になるような進行はしない。 全てにおいて、PLが手順と段取りを考えてGMに提示しなければならない。 プレイヤー側が「どうやって探索するのか」を考える、思考ゲーム、知的ゲームだった。 だから、昔のTRPGは、キャラクターではなく、 “プレイヤー本人が迷宮を攻略する”感覚が強かった。 一方、現代寄りのTRPGは、シナリオ誘導、シーン制、情報保証、判定一発処理、 失敗しても巻き戻し可、演出重視、キャラクター感情重視の方向へ進んだ。 これはコンピュータRPGの変化とかなり似ている。手軽で快適で楽しい。 つまり、 昔:攻略そのものを遊ぶ 今:物語や体験を快適に楽しむ へ重心が移った。 もちろん、どちらが正しいという話ではない。 現代型は、忙しい人でも参加しやすいし、詰まりにくいし、ドラマを楽しみやすい。 でも古典型には、「本当に未知の場所へ潜っている」感覚がある。 誰も正解を保証してくれない。 だから、 「この部屋おかしくないか?」 「この通路ループしてる?」 「今の音は何だ?」 みたいな、小さな違和感から推理が始まる。 そして、自分たちの判断で突破した時、強烈なカタルシスや達成感が生まれる。 だから昔のTRPGを語る人が、「冒険していた」と言うのは、かなり文字通りなんだと思う。
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2024/09/15 08:05 [web全体で公開] |
😶 生成AIの未来 色々と言われているようですが、正直なところそこまで自分は心配しておりません。 一度生まれた技術は中々消すことはできないのはたしかにそうでしょう。 しかし、少し前まで恥ずかしげもなく使う人が多かったWinnyやマジコンに漫画村はどうなったでしょうか? 確かにアングラ界隈では今でも類似のものが使わ全て表示する色々と言われているようですが、正直なところそこまで自分は心配しておりません。 一度生まれた技術は中々消すことはできないのはたしかにそうでしょう。 しかし、少し前まで恥ずかしげもなく使う人が多かったWinnyやマジコンに漫画村はどうなったでしょうか? 確かにアングラ界隈では今でも類似のものが使われ続けているでしょうが、規制により少なくとも表社会で大っぴらに使っていることを公言することはできなくなり、大多数の人は使わなくなりました。 Winnyやマジコンに漫画村の同類である現状の生成AIも近い将来に同様の道を辿ることでしょう。 そのための法規制は世界各国で進んでいます。 色々と詭弁を弄されても、現状使われている生成AIに“クリーン”な生成AIはほぼ存在しないと言って良い状況です。 生成AIの開発者や開発企業自身が、世界中の著作物を無許諾無報酬で取り込めないとクオリティを維持できないと自白しています。 そのため、世界中で多くのクリエイターがその搾取的な行為をやめるよう訴えています。 現状の生成AIを使いながら他のクリエイターをリスペクトしているなどというのは成り立ちません。
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2026/06/06 21:57
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