一匹の死んだヌタウナギ(X連携)さんの日記 「コンテンツを考える」

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一匹の死んだヌタウナギ(X連携)
一匹の死んだヌタウナギ(X連携)日記
2023/02/26 20:40[web全体で公開]
🤔 コンテンツを考える
(▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)今日は少しだけ真面目なお話

近々映画「Winny」が公開される
詳しい内容は省くとして、Winnyは当時物凄く叩かれた技術の一つであり、まるで悪鬼の如くケチョンケチョンに言われてたものである
しかしこの後すぐにアメリカで後々ビック・テック(GAFAと言う方が通りがいいか)と言われる企業が登場してくることになり、IT技術がないと生きていけないくらいになってしまった人が大勢いる今があるわけだが
フロッピーディスクのドクター中松の話を取ってみても、まぁ似たような流れなんだろうなって考えたりもする
全く惜しいことをするもんだ

この当時、音楽や映像などの制作する側に金が回らないのは由々しきことであり
それがコンテンツ消滅を引き起こすであろうと騒がれていたのだが
なんだかんだで生き残っている
というか今じゃ無料からどうやって利益を生み出すかという考えに至っている業界も多い
結局のところWinnyの是非というより無料に飛びつく人は人類の多数派だったっていう身も蓋もない話になるのだろうか

そう考えるとコンテンツ消滅を訴えていたのは制作団体という既得権益を守る活動だっただけかもしれず、制作への敷居が低くなり誰でも作品を公開発信できる状態だとファイル共有ソフトの問題よりも消費者の動きの方がはるかに大きいダメージを与えたのかもしれない
さらには制作活動するまでの敷居も随分と下がったわけでクリエイターの数も昔と比べてかなり増えているだろう
その中でパイを奪い合うような形になるのだから厳しい世界だなと思わざるを得ない
ただでさえパイを奪い合う状態なのに、パイを生み出す消費者はパイを与えようとしないのだから
(注意:この点については投げ銭やpatronやクライドファンディングと言ったものがどんどん誕生しており、正規に資金を得ると言った方法が格段に増えた。私が指摘しているのはそれらに与せず自己利益を得るのを是とするフリーライダーの存在がおそらく多数派であろうという意味である)
そうなるとフリーライダーは良くないという話になるだろうが、私はネット自警団よろしくフリーライダーを締め上げ監視の目を光らすのは否定的である
内田樹の言を借りるなら

「社会的に有害無益なメンバー」の摘発と排除にどれほど資源を投じてもそれは価値を創り出すことにはならない。社是に「フリーライダーをゼロにすること」を掲げ、全社員がひたすら「働きのないやつ」の摘発と排除業務に励んでいる会社は遠からず売り上げがゼロになるのと同じことである。

ということで、監視社会の行末は誰も何も生み出さない社会になる
それは揚げ足取りを是とする社会においての最適解は「何もしないこと」というのと似ている
そして良かれと思ってやった結果が…っていうのはまるで功利主義者のベンサムがパノプティコンを発案するように妙なチグハグ感を感じたりする
まぁどちらにしても当然この時コンテンツは本来の意味で消滅を迎えるだろう

コンテンツは消費者の悪質なただ乗りで消滅するのではなく、消費者が自ら私刑を乱発したがために消滅する
っていう流れはフランス革命後の争乱のようでもあり、ある意味様式美まで感じる
そういやパノプティコンもフランス革命の時期とモロ被りだな
おいらはシャルル=アンリ・サンソンの漫画より、マクシミリアン・ロベスピエールの漫画が読んでみたいぜ


さてそんな前振りから始まったがそもそもコンテンツとはなんだろうか?
歴史を振り返ってみると言論、詩文、絵画、音楽といったコンテンツは常に何かを代弁し表現する存在であった
戦時下で言論統制起き監視社会になった息苦しい社会であっても表現できない思想を、表現できる芸術というコンテンツに込めて発表してた例がある
コンテンツとは言わば技術であり道具(ツール)なわけで、それそのものが何か思想や意思を形成するわけではない
しかしその技術の積み重ねが文化的側面を醸成していき思想や意思を形成して定着していくのも否定はできない

またコンテンツを利用して表現したい部分わざとボカすという高等テクニックまで存在し、最近の例でいうとメイドインアビスがそれに該当するだろうか
救いようがない絶望感を可愛らしいキャラクターが登場することによって、グロさや痛々しさを弱めて伝えることができ実際に考えると相当ヤバい内容であっても何故か受け入れてしまえるという技法は普及させる面で考えるとかなりの浸透性を持つ(アニメは2期に映画化までされたんやぞ!普及度半端ないで!んなぁ〜とか言ってる場合じゃない)
このようにコンテンツは形を変えることで真意を伝えることが可能という柔軟性に本来の強みがある

そしていったんその強みを身につけた作品は作者の手を離れ拡張し生き延びていく
それは道具が生命を得た瞬間とでも言おうか
甲賀忍法帖はバジリスクとして
駿河城御前試合はシグルイとして生まれ変わった
金瓶梅は発祥の地中国では今でもリメイクされ
銃夢はアニータとして映画化し、シティハンターは、まさかのフランスで実写映画化され
ゴジラもウルトラマンも仮面ライダーも「シン」がついた
しかし大多数の作品はそうはならないだろう
それは何故だろうか?
その答えは各自に譲るとして(実際色々考えられるが断定するわけにもいかず匂わせる程度にとどめた方が読んだ側がモヤモヤして非常に良いだろう)

コンテンツを消費する側の人間として
またコンテンツを提供する側の人間として
色々考えることはありそうだ
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レスポンス

ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツ一匹の死んだヌタウナギ(X連携)
2023/02/26 21:01[web全体で公開]
> 日記:コンテンツを考える
コンテンツと対価については、
「正直な消費者」と「正直なクリエイター」が同等に「バカを見ない」ようにすることが重要で、
「誰の金かはわからないが「俺たちの金じゃない」ことは確かだ」って金もある、ということに気をつければ大過なく生きられるんじゃないか、と思いますね……。

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