愛善院さんの日記 「魔女狩り」

愛善院
愛善院日記

2020/07/13 15:25

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😟 魔女狩り
(▼ ネタバレを含むコメントを読む。 ▼)いわゆる「中世の魔女狩り」は、
ステレオタイプがあるのでシナリオにしやすい。

コンニチにも実際に(名前をかえて)行われているため
カタルシスにもしやすい。

人狼やマダミなど
魔女狩りをモデルに作られたゲームも多い。


蝉丸さんの「正義」の畳日記を読んで

ああ、日本人はいまだに
中世欧州の『村社会』レベルなのか
ということをぼんやりと思った。


システマティックに考えると
「石を投げるためのマトを作り
『さあ、石を投げろ!』と先導する者がいて
無意識に、または興奮を得るために
石を投げつけることで集団性を獲得する祭事」
そのマトは、たいがいの場合、人間である。

センセーショナルに
集団のなかに共通の敵を作る(多少強引でも)。

おおよそ人間というのは本能的に

「排斥行動」

つまり、集団維持という大義名分がたつと
問題行動をする存在を取り除こうとする。
「腐ったミカンはまわりも腐らせる」からだ。

きっと猿の時代から、
群れをおびやかす内部因子は
追い出されてきたのだろう。

逆ベクトルを考えると
「自分がいつ排斥『される』側になるかわからない」
というストレスも、なかなか重い。

周囲の人々が
どんな難癖をつけて
自分を次の腐ったミカンにしようとするか
わかったものではないからだ。

少なくとも、
集団が「敵だ」と認識している人間が
はりつけにされている間は
自分が攻撃の対象にはならない。

ゆえに、石を投げるのに参加する。
「自分は間違っていない」ということを
無意識に変換して
「あいつが間違っていたんだ」
というストレスの捌け口にもする。


目をひくようなマト
センセーショナルな犠牲者
……いけにえ、スケープゴート

これを作り出すやつが悪いのか、といえば
必ずしもそうではない。

そういう目立ったトピックスがないと
「自分が間違っていない」ことを表現する機会が
一般民衆には獲得しづらいからこそ

そうしないと
「自分の日々の生活が何なのか、
どういうものなのか」が
はっきりと自覚できないからこそ
注目を集めるもので気を紛らすことになるのだろう。



本当は、『個人(パーソナル)』が発達すれば
「自分が間違っていない」ということは

自分自身にしか自覚できない
他者の視点によって確認されるものではない

というものであることも発露するし
同時に
「自分は間違っていない」

が

「自分は正義ではない」

ということも
自覚されてしかるべきところと思われる。
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レスポンス

斧を使う山賊
斧を使う山賊愛善院

2020/07/13 20:07

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> 日記:魔女狩り
良くある魔女狩りの敵キャラを演じると
「わたしは聖書に従っただけだ!」といいますね。(魔女に下す鉄槌は聖書ではありませんが)

しかし、敵キャラの視点からすると、聖書に従わないということは地獄に落ちると同義であるので、正しい行いそのものです。

良心を捨てないことによって、無限の苦しみの地獄を味わうか。
良心を捨てることによって、無限の快楽の天国を味わうか

信仰心とはこう言うものです
ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツ愛善院

2020/07/13 17:16

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> 日記:魔女狩り

まあ、おっしゃることもわかるんですが、「人を排斥すること=悪」と考えるのもどうかと。排斥された側を受け入れるアジールなり他の集団を作ることにより、集団からの排斥システムを飼いならしてきたのが人間社会というものだろうと思うので。

「多様性を担保する流動的な社会を作り、その流動的状況を維持する」こと以外に、人間ができることはないんじゃないかな、とわたしは考えてます。ノマド的社会になるとそれはそれで行きすぎですが。

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