悠愛さんの日記
悠愛さんが書いた日記の一覧を閲覧できます。
日記一覧
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2025/08/29 02:34[web全体で公開] |
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2025/08/27 14:15[web全体で公開] |
😶 すべてのKPとPLに贈る、あるべき卓の心構え これまで、私が体験したあるセッションについて、何度か日記を書いてきました。多くの反響をいただき、本当にありがとうございます。今回で、この一連の話を締めくくりたいと思います。最後に記したいのは、特定の誰かへの批判ではありません。私たちがTRPGという素晴らしい遊びを心から楽しむために、共有すべき「心構え」について、一冊の本を道標としながら、改めて皆さんと一緒に考えてみたいのです。 私がTRPGを始めた頃に手にした、『クトゥルフ神話TRPG プレイングガイド』という本があります。そこには、キーパー(KP)とプレイヤー(PL)が、どうすれば最高の物語を共に創り上げられるか、そのための知恵が詰まっていました。 この本が何よりもまず断言しているのは、この言葉です。 「受け入れにくいことかもしれないが、プレイヤーが楽しむことがいちばんであり、あなたの楽しむことや、あなたが愛情込めて創り上げた世界の完全さではない。」 キーパーは、物語の支配者ではありません。プレイヤーは、キーパーの筋書き通りに動く駒でもありません。TRPGは、何よりもまず、私たちプレイヤーが楽しむためにあるべきなのだと、この本は力強く教えてくれます。 では、どうすればプレイヤーは心から楽しめるのでしょうか。ガイドブックは、具体的な心構えをいくつも示してくれています。 「すべてのプレイヤーはゲームにとって中心であり、自分がゲームの中心だと考えてはいけない。」 「あなたが受け取る報酬は彼らの瞳にある輝きだ。」 キーパーの役割は、自らが輝くことではなく、プレイヤーという「主役」が輝くための、最高の舞台を用意することです。時には、プレイヤーの意見が自分の予定していた筋書きより素晴らしいと感じたなら、それに従う柔軟さも必要になります。 次に、プレイヤーの主体性と理解力に、敬意を払おう。 もし、プレイヤーがキーパーの想定を超えた、見事な解決策を思いついたなら? キーパーはそれを「想定外だ」と切り捨てるのではなく、その主体性と理解力に敬意を払い、物語に受け入れるべきです。 そして、理不尽な結末から、プレイヤーを守ろう。 「もし探索者が「即死」しかねない状況に近づくようなら、警告を試みること。…災厄が襲う前に、2、3回は警告を発するようにしよう。」 もし、プレイヤーが気づかぬうちに致命的な罠へと向かっているなら、キーパーはそれを傍観するのではなく、プレイヤーの味方として、明確な「警告」を発するべきです。手掛かりを見つけ損ねたなら、別の場所へ動かす配慮も大切です。プレイヤーに与えるべきは理不尽な絶望ではなく、「乗り越えられるかもしれない」という、胸躍る緊張感なのです。 もし対立が起きたなら、誠実に対話をしよう。 「テーブル上でプレイヤーあるいはキーパーとの認識が異なる場合は対話を試み…誠実に、謙虚に、双方の違いを解決しよう。」 もし、卓で意見が衝突してしまったなら、キーパーは権威を振りかざすのではなく、**一人のプレイヤーとして、誠実で謙虚な「対話」によって、解決を試みるべきです。 これらは、決して特別なことではありません。キーパーとプレイヤーが互いを尊重し、信頼し合うという、TRPGにおけるごく当たり前の「前提」です。 しかし、時に私たちは、この当たり前のことを忘れてしまうのかもしれません。 キーパーは、自らが創造した世界に固執するあまり、PLを駒のように扱ってしまう。 プレイヤーは、勝利にこだわるあまり、仲間への敬意を忘れてしまう。 だからこそ、時々このガイドブックの言葉に立ち返り、問い直す必要があるのだと思います。 「私たちは今、本当に『楽しむ』ために、このテーブルにいるのだろうか?」と。 あなたの卓のキーパーは、あなたの「味方」ですか? あなたの卓のプレイヤーは、あなたの「仲間」ですか? もし、その答えに少しでも迷うなら、どうか思い出してください。 TRPGは、誰かを打ち負かすためのゲームではありません。 TRPGは、私たち全員で、最高の物語を創り上げるための、奇跡のような時間なのだということを。 この日記が、どこかの卓で、ほんの少しでも温かくて楽しい時間が増えるきっかけになることを、心の底から願っています。 最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
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2025/08/26 04:05[web全体で公開] |
😶 KP、あなたの「正解」はどこにありましたか? これで、本当に最後の日記になります。 私が卓を去った後、残された仲間たちは、KPからこの物語の「真相」を聞かされたそうです。 その内容は、私が抱いていた最悪の予感が、あまりにも正確だったことを証明するものでした。 仲間を助けることは、間違いだった。 探索者として効率的に行動することも、間違いだった。 私たちが生き残るための「正解」は、仲間を見捨て、少女を人気のない場所に連れ出すという、犯罪的な行動の先にあったのだと、KPは語ったそうです。 なぜ、そんな常軌を逸した行動が「正解」だったのか。 その理由は、私たちの卓の外にありました。 このセッションは、とあるTRPGのプレイ動画を元ネタにしていたそうです。 そして、KPが用意した「正解ルート」とは、その動画の中でプレイヤーたちが取った行動を、寸分違わず再現することだったのです。 私たちは、TRPGをプレイしていたのではありませんでした。 私たちは、KPが信奉する「聖典(元ネタ動画)」の筋書きをなぞるだけの、再現役者に過ぎなかったのです。 議論の最中、私はKPに問いました。 「あなたは、KPが想定した唯一の正解ルートを踏み外せば、即座に罰を与えるんですね?」と。 彼は、こう答えました。 「いいえ。私の想定しないルートであっても、それに正当性があれば私は通します」 今なら、その言葉の真意がわかります。 あの言葉は、PLの自由な発想を歓迎するという、誠実な約束ではありませんでした。 それは、絶対的な審査員である彼が、舞台の上の私たちに投げかけた、傲慢な問いかけだったのです。 「お前たちは、聖典に記された正解を選ぶか? それとも、この私を唸らせるほどの、聖典を超える奇跡の即興劇を演じてみせるか?」と。 彼の言う「正当性」とは、私たちのロールプレイの中に、キャラクターの中に、そしてゲームのルールの中にさえ、どこにも存在しなかったのです。 それは、KPの頭の中にだけ存在する、彼の主観的な「面白さ」という、あまりにも曖昧で、不公正な採点基準でした。 私たちは、TRPGという対等な遊びに参加したつもりでした。 しかし、実際には、KPというたった一人の観客を満足させるための、終わりのないオーディションの舞台に立たされていただけだったのです。 私たちのキャラクターは、物語の主人公ではありませんでした。 私たちのダイスの出目も、必死のロールプレイも、彼を「楽しませる」ための余興に過ぎませんでした。 私たちは、ただ彼の脚本通りに踊り、彼の望む「エモい」結末を演じるための、使い捨ての人形だったのです。 この日記を読んでくださった、どこかのあなたへ。 もしあなたが参加した卓で、自分の行動の「正当性」をKPの胸先三寸で決められていると感じたなら。 もしあなたが、KPの「想定」や「期待」に応えることばかりを求められていると感じたなら。 どうか、思い出してください。 TRPGは、誰か一人を楽しませるための見世物ではありません。 あなたは、誰かの脚本を演じるための役者でも、誰かの採点を待つ挑戦者でもない。 あなたは、その物語の、紛れもない主人公なのだということを。 そして、その主人公の物語を、KPごときに終わらせる権利など、決してないのだということを。
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2025/08/26 03:35[web全体で公開] |
😶 そして、審判は対話をやめた これまでに二度、あるセッションで体験した理不尽さについて筆を執ってきました。今回は、その最後の記録となります。これは、TRPGにおける議論が、いかにして対話を失い、一方的な断罪へと変貌するのか、その痛ましい過程の記録です。 最終盤の戦闘について、私とKPとの間で見解の相違が生じたことは、以前にも記した通りです。私は、自らの行動の戦術的な意図と、その判断に至った根拠を、プレイヤーとして説明しようと試みました。 議論の当初、KPは私の行動を「不可解だ」と評しました。 特に、私が妨害しようとしたNPCについて、彼は「なぜ、無害な彼女を襲ったのか」と、私の判断の合理性に疑問を呈しました。その時点での彼の主張の骨子は、「PLである私の状況認識が誤っていた」という点にあったように思います。 しかし、対話が深まるにつれ、議論の様相は奇妙な変容を遂げていきました。 私が「そのNPCは、パーティを全滅させかねない増援を呼んでいた。だからこそ、最優先で対処すべき脅威だと判断した」と反論を重ねると、KPの口から、驚くべき言葉が飛び出したのです。 彼は言いました。「もう何ラウンドも前から呼び続けているものを今更止めても手遅れです」と。 その瞬間、私は深い混乱に陥りました。 「無害なNPC」ではなかったのか? 「手遅れ」になるほどの、致命的な脅威ではなかったのか? KPは、私を論破しようとするあまり、自らの主張の前提を、自らの言葉で覆してしまったのです。 私の行動の「正当性」は、皮肉にも、私を批判していたはずのKP自身によって、図らずも証明されることとなりました。 論理的な一貫性を失った議論が、次に向かった先は、対話の完全な放棄でした。 「〇分までに行動宣言をどうぞ」 「これ以上続けるなら、行動放棄とみなします」 次々と突き付けられる、時間制限という名の最後通告。 それはもはや、ゲームマスターとしての裁定ではありませんでした。議論のテーブルを一方的にひっくり返し、KPという絶対的な権限を行使して、プレイヤーの発言を封じ込めようとする、純粋な圧力でした。 私は悟りました。 これは、もはやTRPGではないのだ、と。 ここは、真実や論理を探求する場ではない。ただ、KPが定めた「正解」に、プレイヤーが黙って従うことだけが求められる空間なのだ、と。 審判は、対話をやめました。 そして、ただ自らの権威を振りかざし、異議を唱える者を排除しようとした。 その時、私たちが共に創り上げてきたはずの物語は、完全に死んだのだと、私は理解しました。 この日記で、私が伝えたかったことは、これで全てです。 TRPGは、KPとPLが互いを尊重し、時に意見を戦わせながらも、一つの物語を共に紡いでいく、素晴らしい遊びだと今も信じています。 しかし、そのためには、KPという審判が、誰よりも公正で、誠実でなければならない。 自らの過ちを認めることを恐れ、PLとの対話から逃げ、権力に訴えるようになった時、その卓はもはや、健全な遊びの場ではなくなってしまう。 この一連の記録が、どこかの卓で生まれかねない、同じような悲劇を防ぐための一助となることを、切に願います。 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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2025/08/26 03:18[web全体で公開] |
😶 繰り返される「詰み」と、失われた信頼について あるセッションの中断についての日記を記しました。あの時書ききれなかった、より根源的な問題について、改めて筆を執りたいと思います。 あのセッションで私が感じたのは、単発の事故のようなものではなく、残念ながら、これまで幾度となく経験してきたある種の「シナリオ構造」の再演でした。それは、PLの選択や努力が最終的に意味をなさなくなる、「詰み」あるいは「負け」が予定されたイベントです。 例えば、以前参加した、とあるセッションでの出来事です。 私たちは物語の最終局面で、いくつかの選択肢を提示されました。仲間たちと議論を重ね、最も希望があると思われた道を選びました。探索者として、ごく自然な判断だったと思います。 しかし、その選択の結果は、何の前触れもない、回避不能なパーティ全滅でした。後からKPに伺っても、「そういうルートだった」という説明があるのみでした。それまでの私たちの探索やロールプレイが、たった一つの選択によって全て無に帰す。その体験は、深い無力感を残しました。 また別のセッションでは、戦闘において、PCたちの能力を遥かに超える、圧倒的な数の敵と対峙させられたことがあります。 戦術もダイス運も意味をなさない物量の前に、私たちはただ消耗していきました。最終的にはKPの介入によって物語は続きましたが、そこにあったのは安堵ではなく、「私たちの行動では、何も変えられなかった」という諦観でした。 そして、先日のセッションです。 私はまた、同じ構造を目の当たりにしました。圧倒的な戦力差、人質に取られ死にゆく仲間、そして、議論が噛み合わない状況。 私の頭をよぎったのは、「どうすれば勝てるか?」ではありませんでした。「この『詰み盤面』の正解ルートはどこにあるのか?」です。 過去の経験から、私は「正面から戦う」という選択肢が、KPによって用意された最も安易なバッドエンドへの道であると確信していました。キャラクターとしての役割を全うし、仲間と共に英雄的に戦う。それは一見美しいですが、KPが勝利を想定していない盤面においては、「英雄的な無駄死に」を演じさせられるだけに終わります。 私は、その結末を受け入れることができませんでした。 プレイヤーとして、自分のキャラクターが、ただKPの筋書き通りに無意味に殺されるという結末を、どうしても容認できなかったのです。 TRPGは、KPとPLの信頼関係の上に成り立つと言われます。PLはKPの描写を信じ、KPはPLの行動を誠実に判定する。その約束事があるからこそ、私たちは安心して物語に没入できます。 しかし、PLの善意や常識的な判断を逆手に取った即死トラップや、PLの努力を無に帰す「詰みイベント」が繰り返される時、その信頼はどこに向かうのでしょうか。 「KPが私たちを楽しませようとしてくれている」という、最も基本的な前提が揺らいだ時、私たちはKPの描写の何を信じ、どう行動すればいいのでしょうか。 この日記は、特定の誰かを非難することが目的ではありません。 ただ、TRPGという素晴らしい遊びの中で、PLが「どうせ死ぬだけだ」という諦めを抱きながらプレイしなければならないとしたら、それはあまりにも悲しいことではないか、と。 PLがKPを信じ、KPがPLを尊重する。 そんな当たり前の信頼関係が築ける卓に、いつかまた巡り会えることを、心から願っています。
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2025/08/26 02:43[web全体で公開] |
😶 KP、私たちはあなたの敵でしたか? 先日、とある卓に参加させていただきました。 まずは、最後までご一緒いただいた同卓の皆様、本当にありがとうございました。 この日記は、誰かを裁くために書くのではありません。 ただ、あの旅館の一室で、私のPCではなく、プレイヤーとしての「私」の心が折れてしまった、その記録を残しておきたいのです。 最終盤、私たちは旅館で敵の罠に嵌りました。 行動不能の仲間を除けば、私たちは3人。対する敵は7人(5人がHP14 格闘50 BLD1)その主力は、私たちの誰よりもHPが高く、攻撃も的確でした。そして何より、最初から仲間の一人が拘束され、毎ラウンド、確実に死へと近づいていく。それは、残酷なタイムリミットの宣告でした、 盤面は、すでに詰んでいる。 まともに殴り合えば、仲間が解放されるより先に、私たちが全滅する。それは火を見るより明らかでした。けれど、戦闘から離脱するには仲間を見捨てるしかないので選べませんでした。 私のPCは、それなりの戦闘技能を持っていました。しかし、あの場ではその数字が虚しく響くだけでした。仲間を拘束から解き放つための「組み付き」には、システム上、重いペナルティがかかる。そしてその夜、私の振るダイスはことごとく、私を裏切りました。 殴っても、殴っても、届かない。仲間を助けたいのに、自分のPCが、ダイスが、言うことを聞かない。それは、自分の無力さを痛感させられる、あまりにも苦しい時間でした。 このままでは全滅する。だから私は、戦闘からの離脱を決断しました。 しかし、部屋から廊下に出た私のPCが目にしたのは、絶望的な光景でした。敵の一人、あのNPCが廊下の陰で電話をかけ、まさに増援を呼び寄せている。部屋の中にいる仲間たちには、この脅威が見えていない。いや、KPが「彼女はいない」と描写した以上、彼らの世界には、彼女は存在すらしていないのです。 この情報を、どうやって仲間に伝えればいい? 戻れば私も数の暴力に飲み込まれる。しかし、このままでは、私たちは遅かれ早かれ、圧倒的な物量によって蹂躙されるだけだ。 板挟みになった私は、無力な自分にできる唯一の行動…脅威の根源を断つことを選択しました。それは、分断された状況下での、必死の活路を探す試みでした。 しかし、私の行動は、KPから「判断ミス」だと断罪されました。 曰く、そのNPCは「無害」だった、と。 パーティを全滅させるであろう増援を呼び、私たちを陥れている人間が、「無害」? 議論は平行線を辿りました。いいえ、あれは議論ですらありませんでした。 「警告はした」 「そもそも警告の義務はない」 「君たちの自己責任だ」 「君が説明を理解していない」 主張は二転三転し、論点はすり替えられ、最終的に、全ての責任は「状況を正しく理解できない愚かなPL」である私個人へと押し付けられました。 振り返れば、予兆はありました。 あの戦闘中、私はずっと奇妙な違和感を覚えていたのです。敵の攻撃ダイスが失敗するたびに、KPから漏れる、小さな、しかし明確な舌打ちと失望のため息。 それは、PLが自分のPCの判定に失敗した時に発する、あの音でした。 KPは、物語の公平な裁定者ではなかったのでしょうか。 あの瞬間、私には確信がありました。KPは、ただ敵を操作しているだけではない。KP自身が、私たちの敵なのだ、と。私たちの奮闘は彼の不興を買い、私たちの危機は彼の喜びとなる。 そして私は悟りました。この卓で問われていたのは、探索者として生き残る知恵や勇気ではなかったのだと。ただ、KPが用意した一本道の筋書きの上を、彼の意のままに踊る駒であり続けられるか、という服従の意思だったのだと。 私は、KPに問いました。「KPは、PLの味方ではないのですか?」と。 その最後の信頼も、「行動放棄とみなします」という、冷たい最後通告によって断ち切られました。 もう、私のPCがどうなったのかは分かりません。 ただ、プレイヤーとしての私は、あの旅館の一室で、心を殺されました。 この日記は、私のTRPGLifeへの弔辞です。 少なくとも、PLを対戦相手としか見なさないような卓には、もう二度と参加することはないでしょう。 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 そして、同卓の皆様。 どうか、あなた方の探索者だけでも、あの悪夢の島から生きて脱出できたことを、心の底から祈っています。
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2025/08/10 15:07[web全体で公開] |
😶 卓で一番大事なのはPLに楽しんでもらうこと、公式プレイングガイドにも書いてる 6版ならP146「一般原則」、7版ならP206「公正な警告」にも書いてるように警告なしにキャラを無意味にロストさせるのは良くない、納得いかない死をさせて不満を持つようなシナリオは、どれだけ素晴らしいシナリオでも誰も遊ばなくなるから、KPはそれ意識した方が良いと思う
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2025/02/05 04:04[web全体で公開] |
😟 もやもやして眠れないのでキャラのイメージを押し付けられた話をする。執筆者AI、原案と追記が悠愛 この前、ある鯖で初心者さん歓迎したとき、 「悠愛さんはロリキャラRPガチ勢なので、多分可愛い妹ができると思いますよ」 って勝手に紹介された 私はそんなつもりはなかったから、「ロリキャラRPガチ勢ではないです。今まで使ったキャラの最年少が10歳なだけで、ロリのイメージはないと思ってる。大人キャラだってやってるし」って返した。 でも、その人は「俺はロリしか見てねぇーから、ロリのイメージなんだよ」って言ってきた。 …え?私のキャラをどう思うかは自由だけど、私がどういうキャラを作るかは私が決めることでしょ? 「見た目は子供だけど、実は頭良くて頼れるかっこいいギャップが魅力的なキャラもいるじゃん」って言ったら、 「見た目は子供、頭脳も子供でしょ」 って。 さすがに「それは違うでしょ!」ってなった。 私は「そのキャラの背景とか性格を考えて演じてるだけで、可愛いキャラをやりたいわけじゃない」って伝えたけど、 「俺の中の印象は変わらねぇーよ…」って言われて、もうどうしようもないなって思った。 結局、「可愛い妹キャラの期待なら大丈夫か?」って聞かれたから、 「うーん、それならまあ……可愛いかは保証できないけどね。私は可愛いキャラをRPするんじゃなくて、そのキャラをRPするだけだから、可愛いかどうかは保証できない」って返した。 そしたら「いつも通りやればいいよ、かわいいかわいい」って言われて、もう何も伝わってないなって思った。 私がやりたいのは、「キャラの性格や背景を大事にしたRP」。 「可愛いキャラをやる」ことじゃない。 可愛いと思われるのは別にいいけど、それが前提みたいに決めつけられると、なんかモヤっとする。 私は「自分の好きなキャラを、好きなように演じたい」。 だから、これからもやりたいようにやる! 追記:わたしはただ可愛い立ち絵を使いたいだけだから30歳(興味あるシナリオの最低年齢が30歳だったから)でもサーニャの立ち絵を使うと言ったら、「…きつい」とか言われた。そのときは流したけど、色々あって後からそれが押し付けだと気づいた。押し付けダメ絶対!(乂’ω’)ノーゥ